テーマ 蓮如上人御影道中(第352回)(255座)

2025(令和7)年6月1日


 

住職記

あらためて「蓮如上人御影道中」に思う
                     
■1420年12月28日、蓮如さんが六歳(数え年)の時、生母は本願寺を去られました。父の存如上人は海老名氏の娘、如円を正妻として迎えるため、生母はひそかに身を隠されたのです。幼少の一番お母さんが恋しい時にです。そしてもう二人は永遠に出会うことはありませんでした。その時のことが書かれた次のような文章があります。

父は親鸞の血を引く人でありながら、母親は名前も知られず、どこからやってきたともわからぬ賤しき女であったと言われています。ところが、六歳のときに、身分の高い家から正式に妻がやってくる。その結果起こるトラブルを予想して、母親は、「ここは自分が身を引いて去るのがいちばんだ」と判断し、万感の思いを胸に秘めながら六歳の蓮如を残して、ひとり、十二月の木枯らしの中を去っていったと物語られています。『他力』五木寛之著

■そこに「賤しき女」と「身分の高い家から正式に妻」と表現されるように、蓮如さん親子も不当な差別の現実に泣いた人なのです。正直私なら血を重んじる差別体質に満ちた本願寺に失望し、終には呪うのではないかと思うのですが、蓮如さんは決してそうするのではなく、生母の遺言である、

願わくば、あなたの一生をかけて、親鸞聖人の御教えを、再び興して下さい『蓮如上人遺徳記』

の言葉に生涯を尽くされ、各地に歩いて教化されたのです。「蓮如上人御影道中」はそのようなご苦労を偲ぶ仏事なのですが、蓮如さんはその使命感と同時にきっと行く先々でお母さんのことを探し続けておられたのでしょう。数多の涙の数だけ志願になったそのお心を思うと、切ない私の中にも「蓮如上人御影道中」が染み込んできます。

■去年に続いて今回も随行教導さんから「蓮如病」という言葉を頂きました。それは病気ではなく(笑)、352回という今も蓮如さんを慕う人々のことです。今年も蓮如さんが歩いて来てくださいました。合掌

▼蓮如上人御影道中(第352回)を詳しく見る

 

表紙

●托鉢が勤まりました。

▼詳しく見る

 

●花まつり子ども大会に参加しました。

▼詳しく見る

 

●しんらん講座に参加しました。

▼詳しく見る

 

●同朋の会推進講座に出席しました。

▼詳しく見る

 

●長浜特区同朋大会に参加しました。

▼詳しく見る

 


▼浄願寺通信一覧に戻る

 

<<前のページ | 次のページ>>