滋賀/長浜 真宗大谷派浄願寺

滋賀県長浜市のお寺
-真宗大谷派浄願寺-


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1、満年齢(まんねんれい)と数(かぞ)え年(どし)
皆さん、こんにちは。この度は、長浜教区第二十組第五回同朋大会という尊いご縁を賜りまして、ありがとうございます。只今、ご紹介をいただきました、澤面宣了と申します。私は、十四年前に大阪から長浜市相撲(すまい)町の浄願寺に入寺させていただきました、この四月で十五年目になります。
土徳という言葉がありますが、湖北には、浄土真宗の教えが深く染み込んできた空気、雰囲気というものがあります。随分、大阪とは文化が違うんです。皆さんは、こんなもんやと思われているかもしれませんが…、そのような、私が非常に新鮮に感じた湖北の伝統というものをあらためていっしょに考えさせていただこうと思い、今回、「無量寿」―湖北の伝統をいただきなおす―というテーマにさせていただきました。
まず、こっちへ来て最初に驚いたのはですね、歳の数え方です。
「ご院(えん)さん、いくつやなあ?」
とよく聞かれました。それに対して、私は当時二十八歳でしたので、
「二十八歳です」
と答えていました。今度は私が聞きます。
「○○さん、おいくつですか?」
と。すると
「わしか、わしはなあ、数えの、○歳や」
とこういう言い方をされます。これが先ず最初の驚きでした。年配の方はほとんど数え年ですよね。私は、「満の」と付けるまでもなく、自分の歳を答える時には満年齢でした。それしか知りませんでした。
数え年といえば、思い出すことがあります。私は大阪で難波別院の法務部に六年間勤めていました。湖北には長浜別院、五村別院がありますよね。法務部ですから、お朝事のお勤めをしたり、お仏飯を盛ったり、お花を立て替えたりという仕事です。やはり難波別院にも、直参の門徒さんがいらっしゃいますから、お葬式とか法事も私たちがお参りするわけです。門徒さんが亡くなられると過去帳に「法名○○、俗名××、没年月日△月△日、行年○歳、と記録します。その中の、行年ですけど、これは満年齢ではなく、必ず数え年で記録しなさいといわれました。仏教というのは数え年です。聖徳太子の時から、日本は仏教国ですから、マッカーサーが満年齢を強制するまでは数え年です。だからここらではその精神で、何も亡くなった年だけじゃなくて、生前中から、自分の年を数え年で仰っているんですよね。それを初めて生で聞いたわけです。
2、新年のたびに一歳を加えて
あらためて「数え年」、辞書を引くと、
「数え年とは、生まれた年を一歳として、あと新年のたびに一歳を加えて数える年齢」
(岩波・国語辞典)
とあります。それなら、十二月三十一日に生まれると、次の日に、いきなり二歳なんですね。あれ?と思いましたけど、それはまあ、横に置いて…。
新年のたびに一歳を加えてと書いてあります。お正月のたびに一歳を加えるんですね。やっぱり、私の町の相撲町でもそうでした。お正月になりますと、修正会といいまして、皆さんお寺にお集まりいただきます。午前六時半からです。そして九時からは「総勤行」という名前で、もう本堂に入れないぐらい、日曜学校もいっしょですから、子どもも老いも若きもお寺に寄って、
「帰命無量寿如来 南無不可思議光」
とお勤めをするんです。そこで毎年、前の方に座っておられる長老の中の誰かが
「ワシも大台や」
と仰ってます。七十代か八十代、あるいは九十代になったということです。やはり、お正月に一つ歳をもらうんです。辞書の通り、新年のたびに一歳を加えて数えるのです。そういう会話をされます。
それにくらべて、満年齢というのは自分の誕生日に一つ歳をもらうんですね。私でしたら三月一日です。(皆さん、しっかり覚えておいてくださいね。)私には息子がいるんですけど、誕生日は一月十二日です。私にそっくりなんです、顔が。そう言うとみんな笑わはりますけどね。ある方なんか、
「ご院さんの息子さん、可哀そうなぐらい…、ご院さんにそっくりやなあ」
と仰いました。まあ、そうなんですけどね…。
その子どもの誕生日の一月十二日に、家では、ケーキにローソク立てて、
「ハッピー・バースデイ・トゥ・ユー」
と歌うわけです。最後にローソク消して、パチパチと拍手して、
「おめでとう」
です。これ、完全に満年齢のお祝いですよね
でもね、考えてみると満年齢は
「トゥ・ユー」
なんです。
「あなたに」
なんですよ。私は三月一日、息子なら一月十二日、バラバラなんですよね。どうでしょう、この頃思うんですけども、個々別々の
「ハッピー・バースデイ・トゥ・ユー」
よりも、お正月にお寺でというふうに、同じ時、同じ場所で、
「ああ、また一つ歳をもろた」
という数え方、こっちの方が段々と、何か素敵に思うようになってきました。今、皆がとにかく個人主義ですよね。お前はお前、俺は俺というそんな空気が充満しています。でも、バラバラに歳をもらう満年齢という文化の中では、そんなふうになるのは当然の結果なのかもしれません。それにくらべて、数え年は新年のたびに、同じ時、同じ場所ですから、何かそういうふうに自然に、共にという感覚があったのではないかとを思います。何もこれ、お寺に来てくださいということではなく、新年のたびにということさえ抑えることが出来れば、皆、それぞれの場所にいながらも、共に、
「ああ、また一つ歳をもろたなあ」
と、そういう感じなのですよね。
3、生まれた年を一歳として
また、生まれた年を一歳としてとあります。言うまでもなく、満年齢は〇歳です。でも考えてみると、〇歳ということは、お母さんのお腹の中は見えてないのです。人はいきなりポコンと生まれるわけじゃありません。十月十日、さらにはそのお母さんを生み出してくるいのちの繋(つな)がりというものがあります。今日のこのパンフレットの中にも、そういう言葉を書いてくださっています。

私たちは無量の「いのち」(寿)をいただいて生きています。量り知ることのできない縁によって生かされています。
でも、ともすればこのことを忘れて、「私のいのち」、自我に固執しているのではないでしょうか。近代社会の病根はここにあるのです。
生まれた年を〇歳と見る限りは、ここに繋がってきた「いのち」を一切見ないわけです。でも、そうじゃなく、生まれてくるまでに、いのちはずっと繋がっています。
4、「もらう」と「作る」
それとまた、驚いたのは、「もらう」という表現です。湖北では、赤ちゃんが生まれると、「この度、男の子もらいました」「○○さんとこ、女の子もらわったそうや」
という感じで、赤ちゃんを「もらう」と言います。これも私びっくりしたことです。『もらう」と言えば、普通は養子か養女です。
今は、赤ちゃんは「作る」と言います、「もらう」とは言いません。子作りと言いますし、出来ちゃった結婚という言葉にも表れています。テレビなんかでもそうですよね、
「結婚おめでとうございます。ちなみに、お子さんのご予定は?」
って、レポーターとタレントのこんな会話をよく耳にします。その時の答えが、ほぼ、
「しばらくは、お互い仕事もありますし、子どもは作る予定ないです」
とか、
「いやあ、出来ちゃったんですよ」
などです。やっぱり現代の感覚は「作る」なんです。
でも、考えてみると、「作る」というのは、いのちをオギャーからしか見てないわけです。せいぜい、親からです。どちらにしてもここからです。でも、「もらう」というのは、果てしなく繋がってきたいのちをもらうという感覚があるように思います。ここからではなく、ここまでです。
どうでしょう、こんな言葉も先の満年齢と数え年ということと、大いに関係があると思います。生まれた年を〇歳とする、満年齢の文化の中では、「作る」という言葉しか生まれてこないように思うのです。生まれた年を一歳とする、数え年の文化の中にこそ、「もらう」という言葉を生み出してくるように思います。
そして、生まれた年を「一歳」と見るのか、生まれた年を「〇歳」と見るか、その差は一年の差という次元のことではなくて、私にまで繋がるいのちを見ない
「〇歳=ない」
の眼で数えるのか、私にまで繋がるいのちを見る
「一歳=ある」
の眼で数えるのかという決定的な違いであり、「〇」から数える限り、いのちの私有化、自己中心的な生き方が、誕生とともにもう始まってしまっているように思います。
そして、このような、「もらう」という言葉、「数え年」という文化を生み出してくる、その基にあるのは、やはり今日のテーマ「無量寿」ではないかと思います。単数のいのちを「作る」のではなく、無量のいのちを「もらう」のです。
5、「無量寿」
浄土真宗は、無量寿という言葉をとても大事にしているんですね。正依の『浄土三部経』も、最初は『仏説無量寿経』とあります。ずばりですよね。次は『仏説観無量寿経』です。やはりこの言葉です。最後は『仏説阿弥陀経』ですから、ここにはないかと思うのですが、これ私が大谷大学でですね、ある先生が阿弥陀というのは、少し乱暴かもしれないが、英語で分かりやすくいえば、阿弥陀の、阿はノットということ、ノットとは否定で、○○でないということ。「弥陀」というのはメーターということ。一メーター、二メーター、三メーターと、はかるということ。だから、ノットですから「はかれない」という、無量寿と同じことなんだと教えられました。だから言語学的に「弥陀如来」というのはおかしいのです。否定がないわけですから、はかる如来となります、ただ、それは通称になっていますが。
それに、今日も最初、いっしょにお勤めさせていただいた正信偈も
「帰命無量寿如来」
です。やはり最初に出てまいります。もうひとつ、皆さんの仏間のお内仏(ないぶつ)(仏壇)の上に一番多いのは
「無量寿」
の額ではないでしょうか。長浜別院も五村別院もこの言葉の額があがっています。一番大事な言葉を、一番大事な場所に、お家の中心においたんですよね。それは生きる中心にしたということです。このように、浄土真宗が特に大事にしてきた言葉は無量寿だと思います。
6、一休さんから
この無量寿を考えていくに当たっては、一休さんのおもしろい話があります。先ほど、生まれてくるまでに、いのちはずっと繋がっている。無量のいのちを「もらう」と言いましたけど、このことをですね、なるほどなあって一休さんが教えてくださるんですね。皆さん一休さんってご存知ですか。テレビアニメもございましたね。ちょうど私のような頭をしておられます。スキンヘッドです。「チーン」となると、とんちがひらめくんですね。室町時代、当時の足利将軍がですね、非常に困られていたことがあったんです。どういうことに困られていたかといいますと、毎日事件が起るんですよ。どうも犯人は同一人物なんですが、その犯人が捕まらないのですね。世間は物騒になりますし、将軍様としましては何とか犯人が捕まって欲しいと、悩まれているわけですね。それで一休さんがね、とんちで見事に犯人を捕まえるのです。一件落着です。そういうことがあったんです。そのことに対して将軍様は非常に喜ばれまして、一休さんをお城に呼ばれました。そして、将軍様が
「一休さん、この度は非常にお世話になったなあ。やっと犯人も捕まったし、ほっとした。今日から私も安眠できる。」
とこう言うわけなんです。そしてそのお礼に
「何でも欲しいもの言ってくれ。男に二言はない。」
と言うんですよ。何でも欲しいもの…、皆さんでしたら、どうですかね、やっぱりお金ですか? それで、一休さんもですね、それなら、
「お金をください」
と言いました。まあ、将軍様も相手が一休さんですから、無茶なことは言わないだろうと思っていますから、信頼関係がありますから、
「男に二言はない」
なんて、こんなこと言えるんですけどね。
「いくら欲しいのか」
と、将軍様。すると、一休さんは、
「今日、一円頂きとうございます」
こう言うのです。将軍様は、
「まだ、後があるのか…」
と。一休さんは、
「はい、もう少し後がありまして、明日、二円頂きとうございます」
「まだあるのか?」
「もう少しございまして、その次の日、四円、八円、十六円…、あのう、将軍様一年間ですと、えらい事になりますから、一ヶ月限定で結構でございます。一ヶ月間、私、毎日お城まで取りに来ますから、二円、四円、八円と、要は、倍、倍の金額をどうかいただけないでしょうか。」
と、こう言われたんですね。将軍様は、相手が一休さんなので、信用していますし、そこは簡単に
「よし、分かった」
とこの条件を飲んでしまうわけです。今日、お集まりの皆さんはもうわかっておられると思いますが、実はこれ、とんでもない金額になるんですね。皆さん、帰られましたら、家に電卓があると思いますので、
まず、「2×2=」と押してください。
すると4と出てきます。
4は三日目の金額ですので、
次から、4、5、6と言いながら「=」を31まで押してみてください。
すると一ヶ月後、一休さんが手に出来る金額が表示されます。
私は覚えておりますのでこの金額は黒板に書かせてもらいます、一休さんが一ヵ月後に手に出来る金額はこれだけです。
「十億七千三百七十四万一千八百二十四円」。
こんなに貰えるのですよ。これ、倍、倍ですから、前の日は五億いくらです。その前の日は二億五千万…。毎日受け取り、足していきますから、二十億円近くいただけるわけです。おそろしい話です…。ところで、えらいことになったのは、将軍様です。これ、いくらなんでも無理ですよね。それで、将軍様は途中で謝るのです。この話は一休さんの伝記にたいがい書かれてあります。確か、テレビアニメの「一休さん」にもあったと思います。説が色々ですので、話の背景が事件ではなかったり、お金でなく、お米であったりしますが、ここで一休さんが言いたかったのは、この倍、倍ということなんです。もちろん初めからそんなお金を貰おうなんて思っておられません。実はこれが「無量寿」とつながるのです。この倍、倍というのは、親の数なんですね。
今日、一円頂きとうございます。これは私のことです。
明日、二円頂きとうございます。これはお父さんとお母さんですね、両親です。
明後日、四円頂きとうございます。これはおじいちゃんとおばあちゃんです。
その次の日、八円頂きとうございます。これはひいおじいちゃん、ひいおばあちゃんです。
親は二倍づつ増えていくわけですから、十億七千三百七十四万一千八百二十四というこの数は、私から三十一ですから、私から三十代、さかのぼればこれだけの親が私の背景にはいらっしゃるということです。十億七千三百七十四万一千八百二十四人です。もの凄いですね。一休さんの約束は一ヶ月限定でしたけども、いのちはここまでではありません。この人たちを生み出す親がいらっしゃいます、二十億、四十億、八十億…、もう三代ぐらいで、世界人口を超えそうです。実は、これだけの親のいのちの繋がりが、量ることの出来ない無量寿のいのちが私まで届いているということです。
どうでしょう、当然、満年齢の如く、オギャーを〇歳として、ここからいのちを見るわけにはいきません。
数え年の如く、この限りない無量のいのちを一歳(ある)と見たのでしょう。
私から、いのちを「作る」のではなく、私まで、いのちを「もらう」のです。

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