滋賀/長浜 真宗大谷派浄願寺

滋賀県長浜市のお寺
-真宗大谷派浄願寺-


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8、名があるということ
いることの大切さ、その存在を呼び起こすのは、実は名前なんですね。それこそ、南無阿弥陀仏というのは、仏の名を呼ぶわけです。名を呼ぶということですが、これ確かめておきましょうか。真宗聖典の一五七頁、『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』の行の巻(まき)です。
 
大行(だいぎょう)とはすなわち無碍光(むげこう)如来(にょらい)の名(みな)を称するなり。

大行というのはすなわち無碍光如来、仏の名を称(とな)えることだ、名を呼べというのです。私たち大行といえば、滝に打たれたりとか、断食(だんじき)とかをイメージするんですけど。そんなこと仰(おっしゃ)っていません。大行というのは無碍光如来の名を称するなり、仏の名を呼ぶことだといわれます。
この名ということで、宮城 豈頁(みやぎしずか)先生の『正信念仏偈(しょうしんねんぶつげ)講義(こうぎ)』という本が五巻までありますが、この中に、名前ということについて書いてくださっています。ヘレンケラーという方の話から展開されています。読ませていただきます。

三重苦の聖女ヘレンケラーがまだ幼かったとき、家庭教師としてサリバン先生が彼女のうちへ来ます。それまでヘレンの両親や兄たち家族の人は、ヘレンをいうならば哀れに思って、ただもうヘレンのしたいようにさせていたのですが、そこへ入ってきたサリバン先生が非常に厳しいしつけと教育をされるのです。その方針にとても親のほうが耐えられなくて甘やかそうとすると、サリバン先生が、「いくらでも甘やかしなさい。ただしその付けはヘレンが払わなくちやならないのだということを忘れないでください」と言うせりふがあります。(中略)サリバン先生は、徹底して物には名まえがあるということをヘレンに教えようとされるのです。周りの人たちはそんなことは不可能だ、とても無理だと、初めからさじを投げているわけですが、そのときにサリバン先生が言われるのです。「もし一つの物の名まえを覚えれば、その名まえから全世界がヘレンの中に入っていくのです」。一つの物の名まえを覚えるということは、それはただ一つの物の名を覚えるにとどまらない。物には名まえがあるということを知ることによって、全世界がヘレンの中に入っていくのだというのです。ヘレンとサリバン先生の悪戦苦闘の日々が続くのですが、あるときヘレンはのどの渇きに耐えられずに自分でポンプから水を飲むのです。そしてそのとき初めて、ウォーター、水という名を覚えるのです。それからは大地をたたいて、これはなんという名まえだ。顔をたたいて、これはなんという名まえだと尋ねつつ次から次と名まえを覚えていく非常に感動的なシーンがあり、名というものが世界を伝えるということの非常に劇的な姿が上演されておりました。(中略)ですから名というものは、ただほかのものと区別する記号にすぎないようなものではないのです。その名を通してそのものの存在、広くいえば世界というものに初めて触れるということがあるわけです。名号(みょうごう)(南無阿弥陀仏)というものも、ただ仏の名ということではなく、仏の世界に出遇う唯一の通路なのです。サリバン先生のことばを借りれば、その名を通して仏法の世界が私の中に入るというものなのでしょう。
 
仏の名前を呼ぶということは、それだけにとどまらず、仏の名を通して、すべてのものに名前があるということが知らされる。そしてそのことにおいて、すべての存在が私の中に入ってくるのだと教えられます。名前とは単なる他と区別するための記号ではなく、水や大地や顔…、それぞれの存在というものを、実は名というものが表わすのですよね。そこに一人ひとりが、みんなが生きているという世界が開かれるのでしょう。無有代者です。重なることの出来ないかけがえのない存在が見えてくるのです。
どこかにいる無碍光如来(阿弥陀仏)の名を呼べば、私の方に来て寄り添って慰めてくださるって、そんな話じゃなく、どうしてもそんなイメージを抱いてしまうんですけど、そうではなくて、仏の名を称えることにおいて
「その名を通して仏法の世界が私の中に入る」
のです。仏法の世界とは、諸仏(しょぶつ)の世界です。諸仏とは、どこかにいるのではありません。私を取り巻く一人ひとりの方々です。
児童文学者、翻訳家で、最近では『ゲド戦記』の翻訳をされた清水眞砂子(しみずまさこ)さんのこのような言葉があります。

名前は一番短い物語です。
ひとりひとりの名前には、
その人の全生涯が詰まっている。
9、分別によって見えない
名前というのはこれ、夕に口と書いて名です。黄昏(たそがれ)て見えなくなる夕方に
「ここにいるよ」
って、口にするのです。この夕方とは、人間の分別(ふんべつ)というものによって穢(けが)されている人間社会と言ってもいいかと思います。分別とは物事の善悪、損得などを考えること(大辞泉)とあります。現代ほど、この人間の分別によって一人ひとりが見えない時はありません。 
このことを、私事で非常に恐縮なんですけど、息子から教えられることがありました。
息子がね、三歳ぐらいの時のことです。人間は三歳ぐらいから自我が芽生えるといいますが、まさに分別がつくかつかないかという頃のことです。当時の息子は恐竜がとても好きでね、マスコット人形を並べて遊ぶんです。子どもっていいですね、人形とかぬいぐるみとかと遊ぶ時なんか、同じ目線で、何か会話してますよね。恐竜というのは、肉食竜と草食竜とあり、動物と一緒ですね、肉食動物はライオンとかね、虎とか、草食動物はシマウマとか、それで恐竜もそうなんです。肉食竜は、ティラノザウルス、プテラノドン、草食竜は、ステゴザウルスとかトリケラトプスとかブロントザウルスとか。これらを両方に置いて遊ぶんです。ある時、私がこんなふうに聞きました。
「これだけたくさんの恐竜がいるけど、蓮(れん)(息子の名前)は、この中で、どれが一番好きなん?」
私は多分、ティラノザウルスと答えると思っていたんです、やっぱり恐竜といえば、ティラノザウルスですからね。するとね、
「蓮はなあ、ティラノザウルス」
と答えました。あっ、やっぱり当たってると思った瞬間、後(あと)がありましてね、
「ティラノザウルス、と、プテラノドン、と、ステゴザウルス、と、トリケラトプス、と、イグアノドン、と、………」
なんと、そこいる全部の恐竜の名前を言うのです。少し前に流行(はや)りましたよね、ナンバーワンから、オンリーワンへという言葉。今日のテーマである、一人〜その存在の重さ〜がオンリーワンなんですね。大体、大人はこういうこと聞いてしまうのです、どれが一番とか二番とかの話をするんですね。ナンバーワンはどれかと聞くのです。それに対して息子は、子どもの目線で、全部の名前言うんですよ。全部オンリーワンやって。やっぱり、いいですね。子どもは分別に汚(よご)れていません。今日のパンフレットの中の言葉
「私の分別の世界をはるかに超えた大きな世界」
を生きているのです。
しかし、大人は分別です。分別とは分ける、別れると書きます。すべてを、一番とか二番とか、善とか悪とか、役に立つとか立たないとか、引き裂(さ)くのですね。
それにしても、子どもの見えている世界と、私が見ている世界のあまりの違いを教えられた瞬間でしたわ…。
どうでしょう、ティラノザウルス、と、プテラノドン、と、ステゴザウルス、と、トリケラトプス、と、………
名前とは存在です。
「ここにいるよ」
なんですね。もっと言えば、恐竜だけでなく、
○○さん、と、○○さん、と、○○さん、と、○○さん、と、○○さん、と、………
名前のある一人ひとりが確かに生きておられるのです。それを何を横から側から分別で、優劣つけているのでしょうかね。私たち大人は…。
そして
「私の分別の世界をはるかに超えた大きな世界」、
とは私たちが、頑張ってそういう世界を目指(めざ)すんじゃないんです。子どもの時に確かにそういう世界を生きていたのです。事実はそうなんですよね。それを勝手に私たちが、三歳ぐらいから芽生えてくる、間違いだらけの分別で切り刻んでいるんです。どれが一番やとか、どれが優れているとか、○(まる)か×(ばつ)、+(プラス)か−(マイナス)とか、数やらを持ってきてです。だからどうすればそんな世界が実現するのかということではなくて、事実は一人ひとりが生きておられるのです。
「もともと特別なオンリーワン」
そんな歌詞がありましたけど、もともとがそうなんですね。
10、一子のごとくに
親鸞聖人の言葉にもう少し触れておきたいと思います。浄土和讃、真宗聖典の四八九頁です。
 
超日月光(ちょうにちがっこう)この身には
念仏三昧(さんまい)おしえしむ
 十方(じっぽう)の如来(にょらい)は衆生を
 一子(いっし)のごとくに憐(れん)念(ねん)す

十方の如来、仏はですね衆生、私たちを
「一子のごとくに」
憐念す。憐(あわ)れみ念じるとあります。
やはり応機です。仏というのは、一人ひとり、それこそ三つとか、足し算とか数の話じゃないんですね。どっちが一番か、ではないんです。一人、一人、わが子として念じている。親鸞聖人がこう和讃してくださっています。その存在の重さにどこまでも寄り添う、それが仏ですと。
これもまた私事で恐縮なんですけども、来週、四月二十七日が親元の父の七回忌なんです。透析(とうせき)二十年、身体もぼろぼろになってね、最後まで生き切ってくださったなあと思います。こっちの相撲の父は元気でいてくれます。
親元では私は兄と私と妹と三人兄弟でした。親元の父は晩年は特に怒らない人だったんです。まあ、私だけにだったかも知れませんけど何故なら、あいつに怒ってもせい(甲斐)がないと言われてましたから私は。それがえらい怒ったことあったんです。どんなことかというとね、ある時、兄が
「お父さん、子どもも三人おったら、みんなの歳とか誕生日とか昔のこととかが段々ごちゃ混(ま)ぜになってくるんと違う?」
そんな話になったんですよ。そしたら父、えらい怒りましてね、日ごろ怒らん父が急に、強い口調でこう言うのです。

「達了は、昭和○○年○○月○○日生まれ、血液型○型、○○年に○○幼稚園、○○年に○○小学校、○○年に○○中学校、○○年に○○高校、○○年に○○大学……」

「宣了は、昭和○○年○○月○○日生まれ、血液型○型、○○年に○○保育園、○○年に○○小学校、○○年に○○中学校、○○年に○○高校、○○年に○○大学……」 

「宗子は、昭和○○年○○月○○日生まれ、血液型○型、○○年に○○保育園、○○年に○○小学校、○○年に○○中学校、○○年に○○高校、○○年に○○大学……」

延々と言うのです。しばらく黙って聞いていました…。これを思い出すんです。この和讃を聞きますと。あの怒らない父がね、ごっちゃになんかならんと言うんです…。まさに
「一子のごとくに」
です。足し算した三人ではないのです。一子です。ちゃんと一人、一人を見ているという親の心なんですよね。そんなことがありましたわ。
さっきのおふくろもそうですけど、親はありがたいなあって、ここで終わるのではありません。数や優劣にとらわれている私の、一人ひとりを見失っている在り方がやはり問われているのです。
11、平和の礎
皆さんは、沖縄へ行かれたことございますか。沖縄県糸満市(いとまんし)摩文仁(まぶに)平和祈念公園内に「平和の礎(いしじ)」があります。私は難波別院の研修旅行で行かせていただきました。沖縄戦などで亡くなられた国内外の二十万人余のすべての人々に追悼(ついとう)の意を表し、その名が刻み続けられています。これは沖縄戦終結五十年を祈念し、一九九五年(平成七年)に建てられました。   
その建設の趣旨はこのように記されています。

沖縄県の歴史と風土の中で培われた「平和のこころ」を内外にのべ伝え、世界の恒久平和の確立に寄与することを願い、国籍及び軍人、民間人を問わず、沖縄戦などで亡くなったすべての人々の氏名を刻んだ記念碑「平和の礎」を建設する。
↑平和の礎
↑すべての人々の氏名を刻んだ記念碑
↑すべての人々の氏名を刻んだ記念碑
国籍及び軍人、民間人を問わず、沖縄戦などで亡くなったすべての人々とあるように、日本とかアメリカとか敵味方をこえたすべての人々です。
礎(いしずえ)とは基礎となる大事な物事(岩波・国語辞典)とあり、一人ひとりの存在を刻み続けることが、何よりも平和の基礎であると教えられます。この戦争で二十万人余の犠牲者が出たといわれますが、それは二十万人という足し算の話ではありません。一人ひとりの氏名を刻むということです。これが平和の基礎なんですね。やっぱり、名前です。一人の名を刻むことが平和の一番の基礎ということです。
親鸞聖人が
「世の中安穏(あんのん)なれ、仏法(ぶっぽう)ひろまれ」
と仰いました。もしも、私たちがこの世の平和を切に願うのであれば、私たちの心にも、名を刻むということが、一人ひとりの存在を刻み続けることが何よりも大切なことであると教えられているように思います。
12、あさりの話
去年の四月二十九日、林(はやし)暁宇(ぎょうう)先生が浄土へ帰られました。ここらでしたら、
「参らせていただきました」
と言います。先生は五村別院にも来てくださいました。髭がすごい、それが印象的でした。先生から聞かせていただきましたのは、あさりの話です。今日のテーマを総括(そうかつ)するようなお話です。先生が小豆島におられた頃のことです。
ある日、海からたくさんのあさりを捕って先生は帰ってきました。海というのは、小豆島ですから瀬戸内海ですね。早速、バケツに水を入れ、その中にあさりを浸けました。食べるためには、あさりに泥(どろ)を吐(は)かせなければなりません。先生はしばらく嬉しそうにしゃがみ込んであさりをじっと見つめていました。するとそこに、近所のおじいさんがやって来たそうです。そしてそのおじいさんはバケツの中を見て言いました。
「これは何をしているのですか」
先生はにっこりとして、
「あさりに泥を吐かせようとしているのですよ」
と答えました。
「…ところでこれはどこの水ですか?」
おじいさんが再び聞くと、
「どこの水って…、この水道の水ですけれど」
先生が蛇口を指(ゆび)さして言うと、少し間を置いてからおじいさんは、こんなふうに話されたそうです。
「先生、水道の水では絶対にあさりの口は開きません。あさりの□を開くには、あさりの住んでいた海の水でないと決して開くことはないのですよ」

この道理は、あさりの性質のことだけの話ではなくて、何かすべてのことに通じるように思います。
何か私たちって、いつもこの水道の水というか、自分の手持ちの水で、相手の心を開こうと、こんなことを繰り返しているのではないでしょうか。この手持ちの水とは、私の中にある「考え」や「価値観」、独善的(どくぜんてき)な「ものさし」です。それでは決して人と通じ合うことはありません。
あさりの住んでいた海の水でないと、アサリは絶対口を開かないということです。勿論、それは、どこまでも自分を殺して、相手に合わせることではありません。
あさりの住んでいた海の水とは、どんな人にも確かに、今日まで生きてきた「歴史」があり「世界」があり「人生」があるということだと思います。そのことに頭が下がるということを抜きに、いや、そこでしか、口が開くというか、心開くと言うか、共に生きるということは成り立たないのではないでしょうか。
整理して言えば、あさりの住んでいた海の水とは、今日皆さんと考えさせていただいてきた、「いること」「応機」「おふくろ」「竹中智秀先生の接し方」「教えを捨てて人間を取る」「無有代者」「名があるということ」「一子のごとくに」「平和の礎」であり、それは、一人〜その存在の重さ〜です。それに対して、私たちはいつも「数を信仰している」「分別によって見えない」あるいは、「トランク」という言葉もありましたけど、そのような手持ちの自分の水で、一つになろうとしているのですよね。一つになるどころか、限りなくその水こそが、共なる世界を破壊していくのだと思います。
昨年から宗門(しゅうもん)もあげて、親鸞聖人御流罪(ごるざい)八百年という大事な節目を頂いてきました。そこから浄土真宗が始まっていると言っても過言(かごん)ではない。そんなふうに話す先生もよくおられます。私もそう思います。
親鸞聖人は御流罪の地、越後でいなかの人々に出遇われました。比叡山や吉水の法庵での研鑽(けんさん)してきた水でね、いっしょに生きようとされた親鸞聖人もまた、その越後のいなかの人々の、一人ひとりの人生の重さにね、自分の水が破られていったのだと思うのです。
先の、宮城先生の言葉
「教えを捨てて人間を取る」
親鸞聖人の原点がそこにあるように思います。
やっぱり、先の宮城先生の言葉に尽きると思います。

どうか、みなさん。一人の人間の重さを知る心をもって、いろんな人に出会っていただきたい。

私もまた、そんなふうに出会いを大切にしていけたらなあって思います。そうでない限り、人との出会いが結局、好きか嫌いかで終わっていってしまうのですよね。
ようこそお参りくださいました。これで終わらせていただきます。ありがとうございました。

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