滋賀/長浜 真宗大谷派浄願寺

滋賀県長浜市のお寺
-真宗大谷派浄願寺-


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1、土徳を壊すのは誰か
皆さんこんにちは。今回、第七回二十組同朋大会ということで、これで三回目のご縁を賜(たまわ)りました。足の方はお楽にしてください。                                 
今大会のパンフレットの裏に、二十組教導である白桜寺住職の中浜顕文様が土徳についての文章を書いてくださっています。そこに
「土徳とは、豊かな心を育むその土地の文化風土を言うのでしょうか。」
とあります。
私は土徳というものをこの湖北で日々、感じさせていただいております。それはただ、決して湖北の人は凄いと持ち上げているのではありません。
何より考えなければいけないことは、私たちは、先人の培われてきた土徳というものを受け継ごうとしているのか、いや、受け継ぐどころか、誰がその土徳を壊そうとしているのかということです。
今、そのことを思いつつ、湖北の人たちが大事にしてこられた精神をもう一度考え直し、いただき直してまいりたいと思います。どうぞ、よろしくお願いします。
2、亡き人は
テーマは
「亡き人はどこへ〜親鸞聖人と湖北の言葉に聞く〜」
です。親鸞聖人のお言葉と、湖北の人たちが使ってこられたお言葉に聞いていきたいと思います。
「亡き人はどこヘ」なのですけども、皆さんならどのようにお答えしますか?。
「死んだおじいちゃん、どこへ行ったん?」
とか
「おばあちゃんは、今ごろどうしているの?」
と、子や孫に聞かれた時、どう答えればいいのでしょうか。
考えてみると
「亡き人はどこへ」
という問いは、亡き人との関係が深ければ深いほど、それは切実だと思います。かけがえのないお子さんを亡くされた親御さんにとって、
「あの子はどうしているのか」
と、そのことは本当に切実な問いです。
私たちはどういうふうに考えていけばいいのでしょうか。それは、誰に聞いたらいいのですかね。死んだ経験のある人っていないわけですし。
テレビなんかでは
「死後の世界はきれいなお花畑があって、そこから私は帰ってきました。」
と、死後の世界はこうですよと語る人はいらっしゃいますが、嘘かホントか解りません…。怪しいもんです。
現に、この場にいる私たちは、まだ死んだことはありませんよね。だから、亡くなった人のことは解らないのです。これが事実です。超能力者や予言者に聞いても仕方ないのです。だって、その言葉を信じるか信じないかのレベルの話で終わっていきますから。
3、「参らせてもろた」
「亡き人はどこへ」というその問いに対して、実は、ここらではきちんと言葉を残してくださっているのです。資料を見ていただけますか、今日、お話させていただくことのレジュメです。1番を見てください。
「参らせてもろた」
です。これは、息を引き取った事を意味するのですが。実は、この言葉が私たちに非常に大事なことを教えてくださるわけです。
大体、世間では死んだら霊魂がウロウロしてとかね、お花畑とか、あの世がどうのとか、そういうイメージですけど、湖北の人たちは、「参らせてもろた」という言葉を使ってこられました。
このような言葉の使い方は大阪にはありません。だから最初言われた時に、私はトンチンカンな会話をした事がありました。どういうことかと言いますと、
「ご院さん、夜遅くに家(うち)のおじいさんが参らせてもらいました」。
あるいは、
「今朝早ように、おばあちゃん参らせてもらいました」
と言われるのです。私は、こんな言葉に触れていませんから、「今朝早ように、おばあさんが参らせてもろうた」に対して
「すみません、お寺の本堂、閉まってましたか?」
なんて会話になるんです(笑)。参ると言えば、私たち生きている者の行為だと思っていましたから。しかしそうではなくて、まわりの人が亡くなられた時に、「参らせてもろた」と実はこういう言葉を使ってこられたのです。
4、元には親鸞聖人のお言葉がある
ただこれは、ここら独特の考え方、方言という湖北限定のことではなくて、その元には親鸞聖人のお言葉があります。2番を見ていただきますか。これは法然上人の死というものに対しての親鸞聖人の『御和讃』です。

「浄土(じょうど)にかえりたまいにき」『高僧和讃(こうそうわさん)』(真宗(聖典四九九頁)

「初春(そしゅん)下旬(げじゅん)第五日(だいごにち) 浄土に還(げん)帰(き)せしめけり」『高僧和讃』(真宗聖典四九九頁)
 
二つ目の言葉、「初春」これは、そしゅんと読みます。これは一月です。下旬第五目は二十五日です。ですから「初春下旬第五日」とは一月二十五日のことです。
その後「浄土に還帰せしめけり」と続きますので、法然上人が一月二十五日に亡くなられたということです。その時に和讃しておられる言葉が、
「浄土にかえりたまいにき」
あるいは
「浄土還帰にせしめけり」
です。つまり、親鸞聖人は「浄土」におかえりになられたといただいておられます。その親鸞さんのお言葉を、親鸞さんのお心を受け取られた人たちが、まさしく真宗門徒と呼ばれた先輩方がこの湖北で「参らせてもろた」と言ってこられたのです。現代のように、霊魂がウロウロとして…、そんな感覚ではありません。
ですから、親鸞聖人の言葉
「浄土にかえりたまいにき」
「浄土に還帰せしめけり」
それを受けて、湖北の人たちの
「参らせてもろた」
という、このような言葉があることをまず、私たちは心に刻むことがとても大切なことだと思います。
先の「死んだおじいちゃん、どこへ行ったん?」とか「おばあちゃんは、今ごろどうしているの?」という問いに対して、
「親鸞さんの教えを聞いてこられたここらの人たちはなあ、亡き人は、霊になってウロウロしているのではなくて、お浄土にかえられたんだよ。」
と、このような会話になるのではないでしょうか。つまり、亡き人を仏さまといただいてきたのです。
5、「私」を抜きにした話
浄土にかえられた亡き人は仏さまです。このことが教えられるわけですけど、しかしこれは、決して「答」としての話ではありません。この「答」としてあるのではないということが大切ですので、このことを少し考えてみたいと思います。
先ほどから言っていますように、現代という時代はテレビの影響が本当に強いですよね。子どもたちから若い人、さらにお年寄りまで、みんなテレビを信じているといっても過言ではありません。どうでしょうか、
「テレビで言っていたから」
そんな言い方をします。
「このあいだ、テレビで聞きました」
なんてね。まったく鵜呑みにしてしまいます。だから死後の話とか霊魂の話なんかでも、そのまま信じてしまうわけです。
大体、「心霊写真」とかね「怪奇現象」などの番組を組むと視聴率が取れるらしいですね。細木数子氏なんかがそうです。
例えばこんな番組です。「心霊写真」か何かを紹介して、それを霊媒師(れいばいし)?といわれるような輩(やから)が登場し解説するわけです。一般の方から投稿(とうこう)された写真と、
「これはどこそこへ遊びに行ったときに撮った写真ですが、何か変なものが写っている。気持ちが悪いです。これは心霊でしょうか。お教えください。」
このような質問があって、そして、霊媒師が、
「これは呪縛霊です。」
あるいは
「これは大丈夫です。守護霊です。」
などとまことしやかに語るのです…。
テレビを見ていると、皆ついついそんな霊が居るのかと思ってしまいます。
でもね、この話には決定的に抜け落ちている事があるのですね。何でしょうか?。
それはずばり「私」です。この話に「私」というものがありません。これらの話はすべて、指を差(さ)しての話です。そうですよね、
「あの霊は…、この霊は…」
と言っているだけです。
この投稿された方と、まったく縁もゆかりもない霊媒師と呼ばれるような輩が言っているだけの話です。
何を根拠か知りませんけど、万事「私」というものを抜きにした。嘘かホントか解らない、まったく無責任な解説でしかありません。
6、ひろさちやさんから
「私」を抜きにした話ということをもう少し考えてみたいと思います。3をご覧ください。これもまた、テレビの話ですが、さっきからテレビばっかりですね(笑)。
ひろさちやさんがこんなふうに話されていました。
 
太平洋のど真ん中で、百人の人間が溺れていると考えてください。百人の人間を、仏さんはだれから救われると思いますか。既成(きせい)の仏教の方で考えたのは、善人から救うということです。一生懸命善いことをした人、お寺に布施を弾んだ人…。しかし、仏さまの救いというのは、そういうことに関係ないわけです。仏さまはどういう順番で救われるかと言ったら、ただ傍にいる人から救われるのです。だから平等なのです。平等というのは、ある意味で、デタラメだと思っていただければよいのです。

ひろさちやさんといえば、日ごろからデタラメ、あきらめ、いい加減を進められていて、それはそれで私は面白いと思うのですが、今回のこのお話は、ちょっと違うように思います。仏の救いに条件はなく平等だということを、ひろさちやさんはなるべく解り易く言おうとしておられるのでしょうが、これではやっぱりデタラメです(笑)。
これはさっきの話と同じ、太平洋を指差しての話ですよね。「私」抜きの心霊写真の解説といっしょです。「私」がありません。平等とは、こういうことではありません。 
仏の救いは光で表されます。特に親鸞聖人はこのご本尊を一番尊ばれたそうですね。4番をご覧ください。

帰命尽十方無碍光如来 天親菩薩

仏の光を、私たちはついついどこかに仏さまが立っておられて、仏さんの眉間から光が出て、尽十方を、全世界を照らしている、そんなイメージを持ちませんか?。ねえ、それってまた指を差しての話です。
続けて5番を読ませていただきます。これは、二〇〇四年の六月十八日に、長浜別院で開催されたしんらん講座で宮城(みやぎ)豆頁(しずか)先生がお話されたことです。この部分だけですが、テープおこしをして文章にさせていただきました。
 
尽十方とはつまり、自分自身が一番遠い存在だとこう自覚された時でございます。例えばたくさんの兄弟のいる中で、自分がどんなに親に背(そむ)いてきたか、親の心から遠く離れて、自分の思いを通してきたか。何かふと、そういうことに気づいた時、そういう自分であったということに気づいた時、そして、しかもこの私が他の兄弟と同じように、何かこう、深い愛情を向けられていたということを思い知った時、一番深い感動といいましょうか、この私にまで、親の気持ちは及んでいたんだと。これだけ背き続けてきた自分にまで親の心というものは及(およ)んでいたと、そういうことを思い知った時、これは一番深い感動をもたらされるわけですが、尽十方というのは、実はそういう心でございます。一番遠くに自分を見い出した。しかもこの私にまで光は及んでいた。

親という字は木の上に立って見ると書き、それは、親の心からどこまでも遠くを生きる子どもを探している姿であると教えられました。
実は、平等ということは、背き続けてきたこの「私」にまで親の気持ちは及んでいたという、一番遠くのこの「私」の上に観(み)るのです。
「一番遠くに自分を見い出した。しかもこの私にまで光は及んでいた。」
だからこそ、平等なのです。光は平等に十方を照らすのです。決して、傍にいる人から救うということではありません。
6番をご覧ください。親鸞聖人が

弥陀の五劫思惟の願(がん)をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人(いちにん)がためなりけり。されば、そくばくの業(ごう)をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願(ほんがん)のかたじけなさよ 『歎異抄』親鸞聖人(真宗聖典六四〇頁)
 
と御述懐されるように、「たすけんと」の仏の救いは、「親鸞一人がためなりけり」という「私一人」の上にいただくのです。ここに、いや厳密に言えば、ここにだけ平等という頷きがあるのです。
7、蓮如上人から
7番を読ませていただきます。

「本尊(ほんぞん)は掛(か)けやぶれ」『蓮如上人御一代記聞書(ききがき)』(真宗聖典八六八頁)

昔は各家にお仏壇はありませんから、ご本尊を掛けたり巻いたりしていたのです。床の間に軸を掛けるような形です。
ですから、本来はお仏壇の障子はお勤めをする時に開け、お勤めが終われば閉めます。本山でも、別院でも毎日必ず金障子の開閉をしています。
蓮如上人は本尊が破れるまで、掛けたり巻いたりせよと言われるのです。その意味は、私がお参りするときに仏さんと向かい合うのであって、私を離れてどこかに仏さんが居るのではないということです。
やはり、蓮如上人も「私」というものを抜きにした話ではないと仰るのです。
8、世一俊子さんから
この一点について、ある一人のご門徒さんのお話をさせていただきます。その方は、世一俊子という名前のお婆さんで、今は九十歳近くになっておられます。四年ぐらい前から体調を崩されていて、このごろはお参りには行っていません。
その俊子さんから五年前の二月八日に、お母さんの五十回忌のご縁をいただきました。
実は、若い娘時代にお母さんと別れられているのです。色々事情があって、当たり年から十数年過ぎているのですが、五十回忌を勤(つと)められました。その法事の後の挨拶でこんな内容のことをお話されたのです。
「今日は母親の五十回忌を勤めさせていただきましたところ」
から始まり、お母さんのことを思い出しながらゆっくり言葉を続けられました。
「母は私がまだ若い娘時代に亡くなりました。母は病気を患(わずら)い、日に日に弱っていくその姿に、死を予感しないわけにはいきませんでした。そして母も死を覚悟していたようでした。私はまだ娘だったので母の布団に入って、死んだら嫌やって、毎日毎日泣いていました。そんなある時、母が体を起こしてくれと言われるのでそうすると、こんな病気なのになんとか座り、そして厳しい顔でこう言いました。
「俊子、もう先の短いことはお母さんも解っている。俊子、悲しいことやけど、お母さんのこの姿をよう観とけ、人はこうしてなあ、病んで、そして死んでいくんや。俊子、このお母さんの姿をよう観とけ。」
そしてこの
「俊子、よう観とけ」
の声が今日までこの私を歩ませてくれました。
と、このように挨拶されました。
八十五歳のお婆さんが、こんなふうにお話されるのです…。今でも忘れられません。凄く厳粛(げんしゅく)でしたわ。
俊子さんは、教師をされていました。定年までその仕事に願いをかけて打ち込んでこられたようですが、やっぱり人間ですから、たまには懈怠(けたい)の心もあったそうです。さぼりたいとか、明日にしょうかって。ただ、そんな時にいつも母のあの場面の
「俊子、よう観とけ」
が聞こえてきたそうです。だから、出来る限り、ああ、今日させてもらおうという気持ちになったと言われました。
「でもまあ、サボった事も多かったですけど…」
とも言っておられました。これがまたよかったです(笑)。
しかし、どうでしょうか。お母さんがずっと俊子さんを歩ませるのですよね。
実は、俊子さんにとってこのお母さんは、間違いなく仏さまです。
それを、霊媒師のように
「あなたのお母さんの死後はねえ…」
なんて、お母さんとまったく無関係な人が、何を横から解説しているのでしょうか。
そんな話ではなく、この俊子さんのように八十五歳の人生の上に、お母さんを仏さまと頷いていくことなのでしょう。
9、亡き人は仏(ぶつ)である
自分の人生の上に亡き人を仏と頷いていくその確かさを、次のお二人の言葉がいよいよ深めてくださいます。それが8番と9番です。8番は東京教区から発行されました『わたしの出会った大切なひと言』の中にある、お子さんを亡くされた谷本啓子さんというお母さんの文章です。

昨日、主人とケンカをしてしまいましたが、今朝、おつとめの後、「お母さんはお父さんばかり責めているけれど、そんなにお母さんは立派なの?」と、亡くなった子に声をかけられている気がしました。私がいつも我慢し、家族を支えている、そんなふうに高上がりしている自分の姿を、死んだ子が一つひとつ気づかせてくれます。
『わたしの出会った大切なひと言』谷本啓子

そして、9番は、西藤勝信さんというお父さんの言葉です。
斎藤勝信さんは、中学一年生の長男の朋成君を医療ミスのために亡くされました。その時のことは、『君は空の笑顔』という本で以前私も読ませていただきました。
これは、それから十二年経って斎藤勝信さんが朋成君の十三回忌法要の際に話された言葉です。

『お父さん、僕の死をご縁として、お父さん自身の生きることの意味を今こそ真剣に問うて下さい。そうでなかったなら、僕の死は、生きて残っているあなたたちに生かされなかったことになってしまいますね。お父さんや、お母さんたちを悲しませただけのことになってしまいますね。どうか、僕の死を無駄にしないで下さい』亡き子はこのように一番、願っていてくれるに違いない。自らの死をも懸けて生きて残る私たちに、この人生の根本問題、生きることの意味を問えと、そのことをおろそかに、日々を送ってきた私たちに、一旦、悲しみを与えて、その悲しみの中から立ち上がれと、この世でしばしの親子の縁を結んで、いそぎ成仏し、諸仏(しょぶつ)と成って、今日も、私に厳しく問いかけてくるのです。
『死に学ぶ生の真実』(高史明(コサミョン)著)

谷本啓子さんはわが子を敬っておられます。西藤勝信もまた、わが子を諸仏と仰いでおられます。供養してあげなければいけない子ではありません。
諸仏というのは、先ほどの俊子さんのお母さんの如く、この私を生涯、歩ませてくださる方です。
「死んだ子が一つひとつ気づかせてくれます。」
と生活されている谷本啓子において、言うまでもなく亡き人は諸仏です。
「その人の霊は…」
などと、横から解説する言葉など何一つないのです。
何度も繰り返しますが、「亡き人は仏である」ということは、「私」抜きの横からの話ではありません。それはただ、
「今日も、私に厳しく問いかけてくるのです。」
といただかれる西藤勝信さんのように、この「私」が生涯にわたって証(あかし)していくことなのでしょう。ちょっと休憩をいただきます。

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