テーマ 仏前でリン(鈴)はなぜ打つ?(17号)

2001(平成13)年3月1日


表紙

仏事に参ってきた人はまずお仏壇の前にすすんで、合掌礼拝します。そこまではよいのですが、無造作にバチ(撥)をとり、リン(鈴)をチンチンと打ってから、お念仏をとなえる人がいます。一人がそうすると、右へならえでみんながその作法にしたがい、仏前は騒然となりかねません。リン(キンまたはサハリ)は、読経の前後や中間に定められた作法で打ち鳴らす仏具です。したがっておつとめのときいがいは、むやみに打ち鳴らしてはならないものなのです。そのように注意するとなかには、

「だってカネをたたかないと、お念仏が仏さまやご先祖に届かないというではありませんか」

と。とんでもない悪知恵を吹き込まれたのを大マジメで信じる人がいるから困ります。いうまでもなく、真宗で私がとなえさせていただくお念仏は、信心をいただいた如来さまへの報謝のお念仏です。だから、如来さまやご先祖にお届けしようというのは、まったくお門違いといほかはありません。いわんや、リンを打たなければ、如来さまがそっぽを向いておられるのではないかという心配など、もってのほかです。


●リソ(鈴)は、むやみに打つものではありません。お経のはじめや中間、最後など、きめられたところで打ちます。


●カネを打つ、というのは、釈尊がご在の頃から、釈尊の説法を聞くときの合図だったといわれます。現在、在家の鳴り物はリンだけですが、お寺では、おつとめの作法にもちいる以外に、梵鐘や喚鐘があり、太鼓のあるお寺もあって、いずれも行事の合図に用いられています。お仏壇の前でリンを打つときは、できるだけたくさんで釈尊の説法を聴聞(ちょうもん)するという気持で、家族が顔をそろえたいものです。

↑『門徒もの知り帳』野々村智剣著より引用

▼住職から最後のひと言
本文中は「仏壇」とありますが、真宗では「仏壇」よりも「お内仏」(おないぶつ)と呼びます。


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