テーマ ご先祖がたたる?(26号)

2002(平成14)年9月1日


表紙

 たとえば、墓地に木を植えては凶だから、先祖代々の墓地の樹木をきり払うと主張して、一族を困らせている人について相談を受けました。調べてみると、墓相家の本のかなりがこの説を採用しており、この相談者の場合、ある会の説に拠っていることがわかりました。
 つまり、木の根が遺骨にからみついて遺骨をしめつけるため、故人は苦しがって子孫にタタリ、同じ苦しみを与えるというのです。そこで相談者に、この十年内に葬儀を出さなかったかと問い返しました。すると、その前年、先代に当たるおじいちゃんを亡くしたばかりだと言います。そのとき遺体はどうしたのか、とわかりきった質問をしますと、火葬にした、と答えました。
 そこまで確かめた上でわざと同じ筆法を拝借して、それならば遺体が焼かれているあいだ、おじいちゃんのタタリで遺族全員が大ヤケドをしましたか、とたずねてみました。相手は首を振り、ははアそういう理屈になりますな、と言って、さっぱりとした顔で、帰っていかれました。
 ところで、ちかごろはとくに「霊感商法」と称されるものが横行しています。何かにつけて、ご先祖の供養が足らないからだとおどす悪どい商法です。くれぐれも、注意したいものです。

↑『門徒もの知り帳』野々村智剣著より引用


■ふり回されぬよう門徒は聞法を
 
私たちの周囲に流布している迷信や俗信は、生活の中に深く根づいているものが多い。押しなべて「死」を恐れ、避けたいという私たちの思いからくるものである。その思いが「死」を忌み嫌い、自らの都合の善し悪しという尺度を基準に鬼神を作り出し、その鬼神に仕え、亡き人を悪霊扱いしてしまうのである。
 宗祖・親鸞聖人はその主著『教行信証』に『涅槃経』の

「仏に帰依せば、終にまたその余の諸天神に帰依せざれ」

という文を、また『般舟三昧経』の

「余道に事(つか)うることを得ざれ、天を拝することを得ざれ、鬼神を祠ることを得ざれ、吉良日を視ることを得ざれ」

という文を引用されている。そして、ご自身も『正像末和讃』で

五濁増のしるしには/この世の道俗ことごとく/外儀は仏教のす
がたにて/内心外道を帰敬せり

かなしきかなや道俗の/良時吉日えらばしめ/天神地祗をあがめつつ/卜占祭祀つとめとす

と悲嘆されている。
 もちろん、それぞれの他方や地域に根差した文化や風習など大切にしたいものも多くある。しかし、古くからの習わしとはいえ、道理に適わない思想が混在していることも少なくない。
 鬼神におののき、吉凶をえらび、占いに縛られ、一人ひとりの大切な人生を託してしまうことは悲しいことではないだろうか。
 私たち真宗門徒は、開法を深め、とんでもない迷信や俗信に振り回されない日暮らしを送りたいものである。

↑画像、文章『南御堂』難波別院発行より引用

▼住職から最後のひと言
不都合なことは、全部他人のせい…、そのターゲットはなつかしい先祖にまで及ぶ。この辺を、今一度丁寧に考え直したいものです。


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