あとがき

現代ほど「亡き人はどこへ」という問いかけに対して、無責任な解釈や間違った教えがまかり通っている時代はありません。誰も彼も、まるで芸能週刊誌の報道のような「私」抜きの話に明け暮れています。仏教は、どこかを指を差しての「あの世」の話や「霊魂」のことといった「私」抜きの問いには一切応(こた)えられていません。「参らせてもろた」と、この「私」の上に「亡き人は仏である」といただくのです。
しかし、そのことを考える時、私たちはついつい、亡き人がどういう生き方、あるいは、どういう死に方をされたかということにとらわれて
「あんな人を仏さまとは思えません」
などと口にします。
しかし、そのようなことは、まったく関係ないのです。
「亡き人は仏である」とは、ただ、この「私」にかかっている課題なのです。
これから、そのことを確かめていく上でも、この「参らせてもろた」や「曲げて」など、湖北の言葉を大切に交(か)わしていきたいものです。
最後になりましたが、今大会の仏縁、それに本書の作成にあたってくださいました、第二十組教化委員会の役員様、ならびに皆々様に深くお礼申し上げます。
                                                       合掌
澤面宣了

二〇〇九年十月

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