テーマ 1999年 報恩講(32座)

1999(平成11年)12月15日


表紙

雪深い、岐阜県の山村で生まれ育った私には、報恩講というと、マントに身を包んで雪が降るなか、ご門徒の家のお取越にお参りをしたことが思い出されます。時代もうつり、今日では、降雪期を避けてつとめられることが多くなり、防寒具を着けてお参りをすることは少なくなりました。しかし、お取越のかたちはほとんど変わることなく、現在も、ご門徒の家々でつとめられています。私の村の真宗門徒の家では、年回法事を特別につとめる習慣がありません。年回がある家は、お取越のときに一緒におつとめをすることになっています。それで、年回がある場合には、まず、年回のおつとめを済ませ、親戚、近所の方々がそろったところで、全員で「正信偈」「念仏」「和讃」の唱和をしてお取越をつとめます。そして、住職の法話に耳をかたむけます。その後、その家の主人が「お取越と、お取越のついせき(ついでのせき)に、○○の年回法要をつとめさせていただきました」と挨拶をされて、山菜を中心とした手作りの料理のもてなしを受けます。これが、長年つづけられてきた、おおよそのお取越のかたちであります。そこには、親鸞聖人の報恩講であるお取越を、各家庭のもっとも大切なお仏事としてきた先人のこころが、受け伝えられつづけていることが思われるのであります。

廣瀬惺『報恩講』東本願寺発行より

十二月三日(金)午後二時 初逮夜

↑御伝鈔拝読 下巻 樋上聡さん(東本願寺)

十二月四日(土)午前六時 晨朝

↑御文拝読 杉田真一さん(即応寺衆徒)

↑前座法話 越本達了さん(大阪 専光寺副住職)
越本達了さんからのひと言
私たちは賢くなって救われるのではない。

↑法話 赤松豊永さん(京都教区駐在教導)
赤松豊永さんからのひと言 
人間は一生懸命になることによって反って、相手と心が通じ合わないことがよくある。

午前九時半 日中

↑御文拝読 清水英昭さん(四国教区駐在教導)

↑法話 藤井善隆先生(大阪 即応寺住職)
藤井善隆先生からのひと言
我というものから始まるものは決して仏法ではない。

午後一時 大逮夜

↑御文拝読 高山崇さん(山階町 円乗寺住職)

↑曽我謙成さん(一色 等倫寺住職)の前座法話
曽我謙成さんからのひと言
私たちは年回法事のついでに報恩講(お取越し)という姿勢になっていないだろうか。
(表紙の廣瀬惺先生の文章を紹介しながら問題提起をされました。)

十二月五日(日)午前六時 結願晨朝

↑御文拝読 澤面章氏(当寺前住職)

↑前座法話 木村英淳さん(大阪 玉泉寺副住職)
木村英淳さんからのひと言
すべてのものと共に生きたいというのが、たぶん私の本当に願っていることだと思う。

↑お斎

午前九時 

↑子ども報恩講

↑子ども報恩講の後 献花(満日中にて)

午前九時半 満日中

↑登高座 澤面宣了(当寺住職) 

↑勤行 皆で

御俗姓拝読 島野政友さん(大阪 貞正寺住職)

前座法話 清水英昭さん(四国教区駐在教導)
清水英昭さんからのひと言
いよいよ私も結婚することになりました。

一九九九年も報恩講の御縁に遇わせて頂きました。準備から多様なお世話をして下さいました総代さん方、婦人会の方、そして皆さん方、有り難うございました。

内陣出仕僧(他所より)

●曽我謙成さん
(一色 等倫寺住職)
●本多一寿さん
(大阪 護念寺住職)
●越本達了さん
(大阪 専光寺副住職)
●赤松豊永さん
(京都教区駐在教導)
●樋上聡さん
(東本願寺)
●島野政友さん
(大阪 貞正寺住職)
●元平千生さん
(高岡教務所)
●清水英昭さん
(四国教区駐在教導)
●山階誠さん
(泉町 了願寺副住職)
●杉田真一さん
(大阪 即応寺衆徒)
●藤並慈さん
(大阪 仏乗寺副住職)
●黒田真さん
(宮司町 満立寺副住職)
●高山崇さん
(山階町 円乗寺住職)
●禿子慈孝さん
(北方 通来寺副住職)
●木村英淳さん
(大阪 玉泉寺副住職)

編集後記

▼今回、子ども報恩講に際しまして、藤居吉男さんから、子どもたちにお菓子を頂きました。本当にありがとうございました。

▼一九九九年も残り少なくなってきました。今年の十二月三十一日は特に

「まもなく二〇〇〇年だ!」

と□にしながら、あと何分、あと何秒と時計の前でカウントダウンをするのでしょうね。
▼中日新聞がこんなふうに書いています。

「私たち現代人は、時計の奴隷になっている」

考えてみると、時計の時を生きているのはあらゆる生き物の中で人間だけです。そんな私たちは一度も自分の時を生きたことがないのかもしれません。
▼このような金子大栄先生の言葉があります。

「念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、真の人間になる」

時計の時を生き、時計の奴隷になっている私たちはどこで人間といえるのでしょうか。平成じゃなく、西暦でもない、念仏もうさんとおもいたつこころのおこるときを、私のときとして生きることを考えたいと思います。
▼あっと、そういえば、朝、昼、夜とお構いなしに起きたり、泣いたりする十一ヵ月の息子は、最も自分のときを生きている人かもしれません…。

法要記録

十二月四日(金)
■午後二時 初逮夜
御伝抄拝読
上巻 澤面宣了(当寺住職)
下巻 樋上聡さん(東本願寺)

十二月五日(土)
■午前六時 晨朝
御文拝読 木村英淳さん(大阪 玉泉寺副住職)
法話 赤松豊永さん(山陽 常念寺副住職)

■午前九時半 日中
御文拝読 清水英昭さん(四国教区駐在教導)
前座法話 越本達了さん(大阪 専光寺副住職)
法話 藤井善隆先生(大阪 即応寺住職)

■午後一時 大逮夜
御文拝読 長尚澄さん(元浜 願養寺副住職)
曽我謙成さん(一色 等倫寺住職)の前座法話
法話 藤井善隆先生(大阪 即応寺住職)

十二月六日(日)
■午前六時 結願晨朝
御文拝読 澤面章氏(当寺前住職)
前座法話 樋上聡さん(東本願寺)
法話 藤井善隆先生(大阪 即応寺住職)

■午前九時半 満日中
御俗姓拝読 澤面宣了(当寺住職) 
前座法話 清水英昭さん(四国教区駐在教導)
法話 藤井善隆先生(大阪 即応寺住職)


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