テーマ 2008年 報恩講(86座)

2008(平成20)年12月15日


表紙

12月5日(金)から12月7日(日)、浄願寺に於きまして報恩講法要が勤まりました。ここに写真を掲載しご報告させていただきます。(浄願寺通信に写真を加えています。)
                                                       合掌

↑11月30日(日)朝 仏具 お磨き

↑12月4日(木)夜 内陣 荘厳

↑12月4日(木)夜 お華束盛り

↑12月5日(金)朝 山門 提灯設置 幕張り

↑12月5日(金)朝 玄関 幕張り

↑12月5日(金)朝 向拝 幕張り

十二月五日(金)午後一時半 初逮夜

↑御伝鈔拝読 上巻 澤面宣了(当寺)

↑御伝鈔拝読 下巻 和田英昭氏(岐阜 照明寺)

十二月六日(土)午前六時半 晨朝

↑御文拝読 島野政友氏(大阪 貞正寺)

↑感話 和田英昭氏(岐阜 照明寺)
ひと言 場(座)というのは、獲得するのではなく、はからずも与えられるのである。

↑法話 五辻元氏(長浜教区駐在教導)
ひと言 えらばず、きらわず、みすてず、という仏の願いに生きる、そんな人に出遇えたのが私にとって大きな転換でした。

午前十時 日中

↑御文拝読 高山崇氏(山階 円乗寺)

↑感話 黒田真氏(宮司町 満立寺)
ひと言 「ようこそお参りくださいました」と言えるほど、お寺に居る私が仏法を頂いているだろうか。

↑法話 高橋法信氏(大阪 光徳寺)
ひと言 一人ひとりが人身受け難し、いますでに受く。

午後一時半 大逮夜

↑御文拝読 禿子慈孝氏(北方 通来寺)

↑感話 筧承氏(山ノ前 蓮光寺)
ひと言 ある時一人ひとりのお参された足跡を見つけたことがあった。それは今までの自分中心の思いが破られた瞬間でした。

↑法話 高橋法信氏(大阪 光徳寺)
ひと言 生まれたことも、生きることも、全部わかったことにしている。それが空過である。

十二月七日(日)午前六時半 結願晨朝

↑御文拝読 澤面章氏(当寺)

↑感話 木村英淳氏(大阪 玉泉寺)
ひと言 いつか別れなければならないという事実に立つ時、相手を慈しむということが生まれる。

↑法話 高橋法信氏(大阪 光徳寺)
ひと言 人生は理想を掲げてがんばるのではない。我、今、ここにあり。これがすべてである。

↑お斎

午前九時 子ども報恩講


↑満日中の献花まで、余間で待機。

午前十時 満日中

↑献花(子どもたちから)

↑御俗姓拝読 澤面宣了(当寺)

↑感話 高山崇(山階 円乗寺)
ひと言 考えてみると、ひとつひとつのことすべてが不思議である。

↑法話 高橋法信氏(大阪 光徳寺)
ひと言 この身を離れてこの世はない。

↑総代長よりお礼の言葉 松宮俊雄氏

内陣出仕僧の方々(他所より)

●島野政友氏(大阪 貞正寺)
●和田英昭氏(岐阜 照明寺)  
●山階誠氏(泉 了願寺)
●禿子慈孝氏(北方 通来寺)
●黒田真氏(宮司 満立寺)
●高山崇氏(山階 円乗寺)
●木村英淳氏(大阪 玉泉寺)
●五辻元氏(長浜 駐在教導)
●筧承氏(山ノ前 蓮光寺)
●武田晃威氏(国友 遍増寺)
(順不同)

編集後記

▼本山の夏に開催される子ども奉仕団で高橋法信さんの話を聞いたあるひとりの子が、

こんなボクでも自分がちょっと好きになれそうや。

と感想文に書いていたそうです。

▼「子どもたちが自分のことが好きになれないそんな生きづらい社会を作っているのは一体誰なのか」

と強く言われた時の高橋法信さんの顔が今も残っています。えらばず、きらわず、 みすてず、という本願に背き、出来る、出来ないで、相手を切り刻む私たち大人が今日ほど問われている時はありません。

▼今年もまた、えらばず、きらわず、みすてず、である本願に帰された親鸞聖人の「報恩講」に遇わせていただきました。準備から色々とお世話をしてくださいました総代さま、婦人会の皆さま、法中さま、そして皆々さま、ありがとうございました。
                                                       合掌


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