テーマ 真宗門徒の生活(123座)

2014(平成26)年5月1日


表紙


先祖が教えた「アン」どこへ消えた
長浜市 脇坂(69歳)
 
 農家も核家族化が進み、手を合わす姿を家族に見せたことがない。何か欠けてきた。このままでいいのかと感じている。
 外出する時は、まずお内仏(ないぶつ)さんに手を合わせて「アン」と言ってきた。何も知らずに両手を合わせて、頭を下げた、そんな子どもの頃が甦(よみがえ)る。
 農家に育った私は秋の取り入れ時期になると田の土手に腰をかけて、さつまいもや柿の皮を剥いてご飯のかわりと、「アン」のおかげさまと言って食べていた。拾った枝木がひらがなを教えてくれた。「アン」が子どもの教育者でもあった。
 そんな姿は今日どこにも見当たらない。どこへ消えたのか。
 ただ消えていくには、惜しい財産に思えてならない。必ずさとりを開く時が来ると思える。

『同朋新聞』真宗大谷派宗務所発行2014(平成26)年3月号「読者のお便り」より

住職記 1

▼表紙の文章を読み、長浜で培われてきたお内仏中心の真宗門徒の姿を思います。それは子どもの頃から「アン」と手を合わす生活なのです。

▼折にふれて何度もお話させていただいたことですが、あらためて、あるご門徒さんのことが思い出されます。その方の父は、いつも箸箱をお内仏(仏壇)の引き出しに入れられたそうです。その方いわく、

「ご飯食べようと思うたら箸がいるわな。そしたら仏間までくるわな。座るわな。ここまで来たら、なんぼわしでも手を合わすわな…。でも、今から思うたら、そこまでして手を合わせてくれという父親の切なる願いなんやろな…」

▼法事にお参りさせていただいた私たちは、 はからずも、また、辛うじて手を合わすことが出来るのです。ということは、「手を合わせてくれ」というのは、この父親に限らず、実はすべての亡き人から願われていることなのでしょう。

▼表紙の文章にあるように、

そんな姿は今日どこにも見当たらない。どこへ消えたのか。

▼今まさに、お内仏中心の真宗門徒の生活に背き続ける私たちが厳しく問われています。

住職記 2

▼表紙の文章を読み、今ひとつ思い出されることは、北陸の地で和田稠先生が真宗門徒の生活を次のように書かれた文章です。

 老人たちのほとんどが、生涯を通して真宗の教えに耳かたむけてこられ御門徒でした。その人たちに接することによって、私は人間が年老いるということのすばらしさと、その人たちに対して妬みにも似たうらやましさを感じたものです。それらの老人から聞いたいくつかの言葉は、戦中・戦後を通じていささかも色あせず、今も力強く私を支えていて下さいます。
 「天子さまも、総理大臣も、みーんなうららと同じ凡夫じゃわいの。いっしょにお念仏申させてもらおまいか。」「子どもはみーんなおあずかりもの、如来さまの子や。われのものと思うたらあかんど。」
 この老人たちは、現在私たちが喋っている「民主主義」とか「基本的人権」とか言う よ うな、どこか余所 ゆき のひびきのある言葉で話したことはありません。しかし彼らの自前の言葉を通して少年の日の私は、いかなる政治的権力や社会的差別にも左右されぬ逞ましくおおらかな精神世界のあることを感じとったのです。
 彼らはまた私たちの学校の成績には、冷淡と言っていいほど関 心を示さなかったが、その反面、私自身がよほど後になってあらためてその重大な意味を思い知ったような不思議なことば、「正信偈」や「改悔文」のことばを幼い魂に刻みこもうとすることに極めて熱心でした。人間が人間に成るための最も大切な魂のめざめの用意だけはしっかりと自分たちの手でやらねばならぬ、愛する子どもたちの精神の教育は天子さまや国家の手にゆだねるわけにはゆかぬ、と思いさだめていたのです。
『同行』浄泉寺発行1983(昭和58)年1月号

▼子どもの頃から「アン」と手を合わすという表紙の文章の結びの「必ずさとりを開く時が来ると思える」という言葉と、和田稠先生の文章の「人間が人間に成るための最も大切な魂のめざめの用意だけはしっかりと自分たちの手でやらねばならぬ」という言葉が真宗門徒の生活の上に重なります。

編集後記

▼泉先生が「行学とは生き様です」「宗教は頭の中にあるのではなく生き方の中にある」と言われるように、そんな真宗門徒の生活があったのです。さて、今一度、自問すべきと思っています。私は真宗門徒なのかと。

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