滋賀/長浜 真宗大谷派浄願寺

滋賀県長浜市のお寺
-真宗大谷派浄願寺-


トップページ | 行事案内 | 浄願寺通信 | 浄願寺メモ | 蓮ちゃんといっしょに | 山門掲示板の言葉 | 住職法話録

住職法話録

阿弥陀仏に南無する 講述 澤面宣了
 去る、二〇〇五年十一月七日、八日の二日間、唯行寺様の報恩講法要の御縁を頂きました。御門徒の方、お一人お一人に温かく見護られながら、何とか話させて頂いたことをあらためて思い出しております。
 この度、その時のお話を活字に起こしてくださいましたのは、唯行寺様の御門徒であり、推進員としても全国でご活躍の勝木依正様であります。この場をおかりして、謹んで御礼申し上げます。

  二〇〇六年三月十七日滋賀県長浜市相撲町六五四 浄願寺住職 澤面宣了
                                                 (あとがきより)
このページでは訂正を加え、画像等を取り込み公開させて頂きます(全5席)

▼第1席を見る

▼第2席を見る

▼第3席を見る

▼第4席を見る

▼第5席を見る
「無量寿」―湖北の伝統をいただきなおす― 講述 澤面宣了
 二十組第五回同朋大会を新築された念善寺さんの本堂で開催することが出来ました事は、仏縁のありがたきこととうれしく存ずる次第です。
 今回は長浜市相撲町浄願寺住職の澤面宣了師をお迎えして法話を聴聞させていただきました。
〈無量寿―湖北の伝統をいただきなおす―〉と題されて、私たちがいままでこの身にうけてきたはかりしれないご縁をわかりやすくお教えをいただきました。
 文化とは、「人間の精神的・内面的な生活にかかわるもの」との意味合いがあります。
 真宗文化といわれる、私たちの遠い祖先が長い間に有形無形に積み上げてこられたものにいわれてきているように思われます。真宗の教えがこれほど生活の中や私たちの考え方に影響を与えている事に、気づいていなかったことを恥ずかしく思う次第です。
 ひょっとすると私たちは、今このことを切り捨てようとしているのではないか。今更ながら自分の罪深き身を嘆くばかりです。

今私は生きている。だが
私たちは、何を求めて生きようとしているのか。
私たちは、何をよりどころに生きようとしているのか。
また、どの道を歩もうとしているのか。
「極重悪人唯称佛」 この道一つである。
 
 同朋の会の役員の皆様、念善寺の関係の皆様、ご縁をいただかれお参りされた方々に深く感謝申しあげます。
                                                       合掌
長浜教区二十組組長 細井明
二〇〇七年五月                                      
                                                 (はじめにより)
全2席

▼第1席を見る

▼第2席を見る

▼あとがきを見る
「一人」― その存在の重さ ― 講述 澤面宣了
 二〇〇八年四月、二十組同朋大会は落合の専明寺さんの本堂で開催されました。
 本大会は、「蓮如上人五百回御遠忌御待ち受け同朋大会」というご縁をいただきスタートして、はや六回目を迎えました。
 今回も昨年に引き続き、相撲町の浄願寺御住職 澤面宣了先生に法話をお願いしました。昨年は「無量寿」―湖北の伝統をいただきなおす―というテーマで、湖北に住む我われ真宗門徒にとって、親鸞聖人の教えに生きる人を生み出す土壌がある素晴らしさ、良き先輩たちが培ってくださった、伝統やその輝きに気づき、再発見させて頂きました。
 しかしながら、私たちの日暮らしを見つめ直しますと、その伝統と賞される土徳の基盤になっている、門徒の家庭に息づいていたお内佛の生活が、見えにくくなってきています。四十七年前から提唱されています信仰運動、真宗同朋会の推進は「お念仏を申す一人」を生みだし、その喜びを戴いた仲間とどう生きていくのか問いあい、よき僧伽を形成することであります。
 今回は「一人 ―その存在の重さ― 」をテーマに、教えに生きるもとが私一人にあることから、その一人の尊さ大切さを考えることを、先生自らの生活を通して優しく、暖かみのある中にも、厳しく問いかけていただきました。私たち真宗門徒の生活を問い直す、尊いご縁とさせていただきたいと思います。
 澤面先生にはご多用の中、御講話とともに重ねて原稿に加筆校正の労を賜りましたこと、深く御礼を申し上げます。
 また、今まで二十組同朋の会を中心に、この活動にご尽力くださった、関係者に敬意と感謝を表するとともに、毎回講語録を発刊しつづけてくださる、勝木推進員と関係の皆さんに御礼をもうします。
 今後、本書が同朋の会員皆様の「お念仏の心」を戴く、大切な朋(とも)にしてくださることを念じます。
                                                       合掌

長浜教区二十組組長 三浦了祥
二〇〇八年六月
                                                 (はじめにより)
全2席

▼第1席を見る

▼第2席を見る

▼あとがきを見る
「亡き人はどこへ」― 親鸞聖人と湖北の言葉に聞く ― 講述 澤面宣了
 二〇〇九年四月十九日(日)白桜寺様ご本堂において、懇ろなご準備のもと第七回当組同朋大会が開催されました。長浜市相撲町の浄願寺ご住職澤面宣了先生にはこのたびもご出講たまわり、今回は「亡き人はどこへ」―親鸞聖人と湖北の言葉に聞く―というご法話を聴聞させていただきました。先生は、湖北という篤い念仏風土に具わった佛徳祖徳、つまり湖北の土徳について毎年この同朋大会でお話くださっております。そういう地域で生活しているかと、私たちは我が身が一番見えていないことを痛感し、昨年の大会の法話「一人」―その存在の重さ―を深く頂き直す次第です。
 さて、亡くなられたことを「参らせてもろた」という湖北の言葉について法味豊かに、先生はお話くださいました。人の死について、「私」を抜きに見ていたら何にもならない、佛さまの浄土の世界へ帰って行かれた亡き人は諸佛として、親様から一番遠い所にいる私一人のために、この私に「よう見ておけ」と案じていてくださる、だから亡き人が諸佛だということは「私」を抜きにしては言えないことであると、先生は仰っていただきました。なのに、儀式の簡素化だの簡略化などと言って、誰が湖北の土徳を壊そうとしているのか、そこに、亡き人を佛さまにしていない「私」があるという先生のお話には、胸を突かれる思いがいたしました。だからこそ、お話のとおり、一刻一刻が初事であり、最後(だと思えではなく)という事実として、念仏申す自分の声を通し、あらゆる人から呼びかけられる「私」一人への声を聞いていきたいと思います。
 澤面先生にはご多用の中、ご法話ならびに法話録原稿の加筆校正に労をお取りいただき、厚くお礼申し上げます。
 さらに、同朋大会開催のご準備をしてくださった関係各位の皆様方と、毎年引き続いてこの法話録を発刊していただいている第二十組同朋の会勝木会長および中川副会長に、ご尽力のほど心より感謝申し上げます。
 今回もこの法話録が、一人一人の聞法報謝そして同朋の会が歩まれる上において、益々大切な縁(よすが)となりますことを深く念じ上げます。                   
                                                       合掌

長浜教区第二十組副組長 玉樹惇
二〇〇九年十月
(まえがきより)
全2席

▼第1席を見る

▼第2席を見る

▼あとがきを見る
宗祖親鸞聖人に遇うということ 講述 澤面宣了
 二〇一〇年四月十八日、長浜教区第二十組のお待ち受け法要並びに第八回同朋大会が、細江町明照寺様の本堂をお借りして開催されました。講師は、相撲町浄願寺住職澤面宣了師で、先生には、第五回以来連続四回のご無理をお願いいたしました。
 明年の宗祖七五〇回大御遠忌を控え、今回は「宗祖親鸞聖人に遇うということ」というテーマでお話を戴きました。
 先生のお話は、毎回そうですが、柔らかな口調の中にも大変厳しい課題を私たちに突きつけておられることを感じます。今回も、
 ・私たちは、宗祖親鸞聖人の教えを戴く真宗門徒というが、果たして本当に宗祖のお心を戴いているのだろうか。
 ・宗祖が「かならず、かならず、浄土にて待ち参らせ候べし」と仰ったが、その宗祖が待っておられる浄土を、ゴールインの世界にしていないだろうか。
 こういった課題を突きつけながら、私たち一人ひとりの根本の願いを掘り起こしてくださったような気がいたします。
 お話の中で先生がご紹介された、「世の中を見たければ己を見よ。己を見たければ世の中を見よ。」という言葉は、今日の閉塞感が増す社会をただ嘆き、私だけが助かろうともがき苦しむ私たちの心に、大きな樵(くさび)を打ち込む言葉ではなかったでしょうか。
 
 本書を通じて、一人でも多くの方が、明年の七五〇回大御遠忌を迎えるにあたり、宗祖親鸞聖人の真のお心に遇っていただく機縁にして下さることを念じる次第です。
 
 最後になりましたが、本書刊行にあたり、澤面先生にはご多用の中、御講話とともに原稿に加筆校正の労を賜りましたこと、深くお礼を申し上げます。
 また、今まで二十組同朋の会を中心に、この活動にご尽力くださった関係者の皆様に敬意と感謝を表するとともに、毎回講話録を発刊し統けてくださる、推進連絡協議会関係者の皆様にお礼を申します。
                                                       合掌
二〇一〇年九月
長浜教区第二十組教導 中濱顕文
(まえがきより)
全2席

▼第1席を見る

▼第2席を見る

▼あとがきを見る

▼トップページに戻る

■第1席


 この度、唯行寺さんにおいて、一番大切な法要でございます、報恩講さんのご縁を頂きまして、ありがとうございます。私なりに色んな先生方から教えて頂いたことをお伝え出来たらと思います。全部で五席あるそうですね、どこまでお話出来るかわかりませんが、親鸞聖人のご法事ということで、皆さんと一緒に考える時間を共有出来たらと思いますので、長丁場になりますけれども、どうぞ宜しくお願い致します。
 報恩講さんというのは、今も言いました通り親鸞聖人のご法事ですが、私達の宗祖ですね。ご本尊に向かって右に安置されておりますのが親鸞聖人でございます。親鸞聖人は本当にひと言でですね、「親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべし」(真宗聖典627)と、こういうふうに仰っています。蓮如上人は「一心に弥陀たのめ」と繰り返し仰っています。
だから、真宗の教えとは、お念仏のこの六字に全てが込められている、凝縮されているんだということですよね。ですので、今回、この「南無阿弥陀仏」、ただ念仏だと親鸞聖人が仰る、お念仏からなるべく外れないように、お念仏を中心に、一緒に考えさせて頂きます。
 
 皆さん早速ですけれども、テレビの話でございますが、木曜日の夜7時から何をご覧になっていますか?
みのもんたさんの「ミリオネア」という番組があります。フアイナルアンサーと、やるのですが、あれ全部クリヤーしていくと1千万円まで貰えます。最初は確か5千円でございますね。1万円、2万円と高くなっていくんです。あれ不思議ですね、こっちまでどきどきします。次、1千万円やで、頑張れってね。一緒になってね、だからテレビは良いんですけれども…。
あの、みのもんたさんが司会をされているクイズ番組に、実は「南無阿弥陀仏」が出題されたんですって。こんなの出るんですね。それはどういう問題かと言いますと、

「南無阿弥陀仏」の、言葉の正しい切れ目はどれ?
A、 南・無阿弥陀仏
B、 南無・阿弥陀仏
C、 南無阿弥・陀仏
D、 南無阿弥陀・仏
(放送日 2004年1月4日  TRIAL 150万円  回答者 九重親方)

「南無阿弥陀仏」は2つの言葉から出来ています。それはどこに点を打てば良いですかという問題です。2つの言葉ですから切るところ、間に点を入れれば良いわけです。
4つの中から、正解をひとつ選ぶ四択です。
回答者は、考えた末に、「南無阿弥、陀佛」と、ここで切ると言われたんです。…残念ながら、ペケですよね。正解は、「南無・阿弥陀仏」です。
しかし、案外「南無阿弥陀・佛」で切ると思われる方が多いのではないでしょうか。「南無阿弥陀・佛」ここで切る、わからんでもないですよね。ここで切るというその解釈は「南無阿弥陀」という「佛」ですね。ひらがなを入れるんだったら、「南無阿弥陀」の「佛」となります。だから「南無阿弥陀」で切る限りは、外から「南無阿弥陀仏」を見て、「南無阿弥陀」の「佛」が何処かに居るという、そういう解釈になります。
南無で切ることによって、「南無する」という、私達の姿勢というものが、この「南無阿弥陀仏」の中に含まれてくるかと思います。両者には「そこに私が在るか、無いか」という、これほど決定的な違いがあるんだと思います。
だから、私を離れて、阿弥陀仏という佛が何処かに居るということじゃない。南無するというのは、手を合わす、頭が下がる、拠り所とする、それを一番願う、たのむ(憑む)ということです。だから、「南無阿弥陀仏」とは、この私が阿弥陀仏に南無するということですよね。
それじゃ、阿弥陀仏に南無するということは一体どういうことなんでしょうか。親鸞聖人は「ただ念仏して」とこうひと言で言われるのですが…。
阿弥陀仏、勿論こちらのお寺さんも、ご本尊は阿弥陀仏でございます。そのことによって、まず、問われてくることは、ずばり、私達は阿弥陀仏に南無しているかということです。
「南無阿弥陀・佛」の限りは、私が問われるということはありません。
「南無・阿弥陀佛」によって「お前は本当に阿弥陀仏を中心に生きているのか」「阿弥陀仏に南無しているか」という問いかけがあります。
どうですか皆さん、僕はやっぱり、他のもっと南無することに、追われて生きているように思います。皆さんそんなことないですかね、例えば今のクイズじゃないですけど、お金も大事ですよね、要るもんは要ります、食べるんですもん。子どものこと思うたら学費とかもね。だからお金とか、どうでもええ、ただただ阿弥陀さんだけをと、そういうわけにはいきませんよね。だからこそ、「お前、何を一番大事にしとるんか」と、いうことを事あるごとに問いかけていく、そういうことが大事かなあーと思います。
 
 私、あんまりこれ言いたくはないんですけれども、こんなことがあったんです。相撲町から出て(分家)おられる方が三年ほど前、奥さんを亡くされました。その満中陰の時にです、私がちょっと考えさせられるようなことがあったんです。
どんなことかと云いますと、満中陰ですから、お内仏(仏壇)のすぐ前までお参りの人でいっぱいでした。その家は、田の字型の家じゃなく、玄関から入ってすぐに右が階段なんです。左の奥に行くと、この仏間があるわけです。ですからご主人が「ご院さん、今日は仏間がいっぱいやから、ワシの二階の部屋を空けてあるから、悪いけど階段上がって、二階で着替えて、仏間へおりて来てくれへんか。」と言われるんです。私も「わかりました」と言って、玄関からご本尊に合掌して、階段を上がって、着替えて、おりて、仏間でお勤めをさせて頂きました。終わってから「ご院さん、また二階で着替えたら、またおりてきて。お膳を用意しているから。」と言われました。色衣ではお膳に座れませんので。これからお膳をよばれる、楽しい時間でございます。私が二階で着替え終わる頃、丁度、下から声がしました。「ご院さーん、用意出来たで。それから、ご院さん玄関から二階へすぐ上がれるから、貴重品だけは持っておりてきてなー」って言われたんです。私は階段を半分ぐらいおりていたところで、「大丈夫ですわ、財布はここですから」と言うたんです。
そうして楽しくお斎を頂いていたんですけど、…これ問われているんですね。
ご馳走をよばれている間、袈裟も、数珠も、お経の本も、風呂敷の中に、それを二階に置いたままなんです。どういうことかといいますと、階段の下から「貴方の貴重品は何ですか?」と問われているんですよね。それに対して、私は袈裟も、数珠も、お経の本も全部置いたままなんです。それで財布だけしっかりと持っておりてきているんですね。財布だけ。「貴方の貴重品は何ですか?大事にしているものは何ですか?」って問われているんですが、私は間髪を入れずに「大丈夫ですわ、財布はここですから」です。このことは「私が南無してるのは、お金です」ということですよね…。間髪を入れずに、咄嗟に出てくるというのは、もう体に染み込んでいるということです。頭で考えて言うんじゃなくって、もう体質にまでなっているということですね。
この長浜教区で特に大切にしている「部落問題研修会」がありますが、差別発言に対しての糾弾ということも「そんなつもりでなかった」と、言うほどよけいに糾弾を受けますよね。当然です。咄嗟に出るというのは、「財布です」と云うのと一緒で、体質にまで成っているということです。だからそこをよけい問わなければいけないと思います。
まあ、今回、私にとりましては、「南無・阿弥陀仏」ではなく「南無・お金」。そういう日暮らししかしていないなあーってことを、満中陰の時、あらためて思い知らされました。

 あんまり私だけ悪者になっても、ちょっと寂しいんでお聞きしますけど、皆さんもどうですかねえ、そんなことありませんか?やっぱり「南無・お金」じゃないですかね。
それ以外に、私たちが南無しているものの中に「健康」があると思います。

 これもご門徒さんの話なんですけども、スーパーの支店長をされている方がいらっしゃいます。よく仕事のできる方なんですよ。その方が言ってました。みのもんたさんが、また出てきますけど、「昼はおもいッきりテレビ」、あれ見ておられますか。その方も昼にやっぱり見るんですって、例えば「ココアが身体に良いです」ってみのもんたさんが言われる、そしたら昼からは、ココアを一番前に置くんですって、すると、あっという間に売れるんだそうです。あのテレビを見て商品の配列を変えるんですって、奥に置いておいたらあきません、一番見えるところに置くそうです。
「昼はおもいッきりテレビ」という番組が流行り、スーパーには健康に良いものが一番前に並ぶ、このことは、やはり南無しているものは「健康」なんですよね。「南無・健康」それが私達の生き方です。「南無阿弥陀仏」と親鸞聖人の法事、報恩講にこうしてお参りし、念仏を称えるわけですけれども、全くそれ以外のことに南無している、そんな私達が浮き彫りになってくる、そういうことがあると思います。
「もの」ということでいえば皆んなバラバラだと思うんです。私も若いとき、車がすごく好きだったんです、もう二十代の頃は「南無・車」でございました。十代の時はやっぱり彼女とか、そういうのが一番興味ありました。「南無・恋人」です。若い人達の多くはそうじゃないでしょうか。
だから、ひとつ「もの」ということでいうたら、みんな一人ひとり違いますよね。何か欲しいというても、何を頼りにしているかというても。でも、約まるところ、こういうことでないかなあーと思います、要は、内容をいうならば「私の思い通りにしたい」。お金だってそうです、お金が欲しいというより、お金で何々を手に入れたいということです。健康ということも、健康である故に旅行とか、好きなことが出来ると。みんなが願っていること、南無していることは「南無・思い通り」、この言葉に行き着くのではないかと思います、私もやっぱりそうです。「南無・阿弥陀仏」じゃなく、「南無・思い通り」。そればっかり追いかけているように思います。
 
 榎本栄一という方がおられました。化粧品店を経営されながら、「お念仏」を喜ばれている、また、そういう本なんかも出されています榎本栄一さん。その方が非常に面白いこと仰ってました。私がまだ大阪の難波別院に勤めていた頃なんですが、難波別院から発行されている「南御堂」にこんなことを書いておられました。

「結婚して、痛切にわからしていただいたことがある。」

 私は当時、まだ独身でしたから、これから結婚する者にとっては興味深く、すぐ目がいきましたわ。榎本栄一さんがね、本当にお念仏に生きられた、深いお心で、どんなことを書いておられるのかなと読みますと、結婚して痛切に分からしてもろうたものがある、端的にひと言で書いてありました。

「結婚して、痛切にわからしていただいたことがある。それはこの世の中に思い通りに出来る人が一人も居ないということを痛切にわからして頂きました。」

ということが書いてありました。私は結婚して今、この言葉がよくわかります…。ほんま思い通りにならないんですね、一番近くに居る伴侶。今、本当に榎本さんの言葉が身に沁みます。

「この世の中に思い通りに出来る人が一人も居ない」

そのことを結婚して痛感させられましたと、こんなふうに書いてありました。
でも、考えてみると、結婚すると云うことは、その人を選ぶということは、その人以外の人を全部放棄するということですよね。二人、三人というわけにいきませんから、貴女と結婚するということは、他の人は一切放棄しますという、それほど大事な出遇いです。だから私もやっぱりそんな気持ありました、今もちょっとあるかな…。やっぱり大事というか、選んで一緒に生きていきましょうと、その伴侶に対して、もうすり替わっているんですね。どんな気持ちで毎日、生活しているかといえば、思い通りにしたいという気持ちで接している。大事にするとか守るとか、そんな、ことさらさらありません。要は私の言うことを聞けです。一番隣りにいる人にも「南無・思い通り」しかないんですよね。何かそういう在り方を榎本栄一さんが教えてくださっています。

 ちょっと、これをもう少し広げて家族ということで考えてみましょうか。同朋会館というのがあります。東本願寺に上山奉仕の際、宿泊出来る会館です。その同朋会で宿泊しますと、お勤めをしたり、掃除をしたり、法話を聞いたり、あと座談会といって話し合いです、そういう時間があるんですけども、その話し合いの時間でね、一人のお婆さんが

「うちの家族はホントにバラバラです。みんなの考えがひとつになったら、どんなに平和なのになあーといつも思うのです…。」

こういうことを言われたそうです。そしたら皆も、ほんまにそうやなーあって、お互いに頷き合いました。その時の教導が宮城 豈頁(みやぎしずか)先生だったようですが、その「みんなの考えがひとつになったら」ということを、話し合いの中で深めていくうちに、でもよく考えてみたらということになったんだそうです。

「みんなの考えが一つになったら」

と言うけども、そのひとつというのは

「私の考えにひとつになったら」

そういう感覚でないのかなあーって、宮城先生は話されたそうです。
自分の考えを捨てて、相手の考えに、ということにはならない、私はちゃーんとあって、「私の考えにひとつになったら」なんです。私達みんな何時も、「ひとつ」とか、「平和」という、凄く美しい言葉を使っていますが所詮それは「俺に従ってひとつに、俺に従って平和に、ということでしかないんですよね。だから

「みんなの考えがひとつになったら」

というこの話を聞いても、私達の心の中を支配しているのは、やはり「南無・思い通り」です。そら平和になるはずがないですよね、お互いに「俺の云うことを聞け」なんですもの。
 今の学生は、「切れる」とよく言います。この頃あんまり言いませんか。「むかつく」というのは言いますよね。もっとむかつくのを「超むか」と言うそうです。「むかつく」とか「切れる」というような言葉が出てくるというのは、やっぱり一番根っこに、「南無・思い通り」があるからでしょうね。思い通りにしたい、しかし、そうならない時に切れるんです。思い通りにいかないからむかつくんです、超むかになるんです。しかし、これは今の学生だけじゃなくって、今、日本中を覆っている空気じゃないですか。
 ストーカーという言葉をよく聞きます。女の子に自分の気持ちを伝えたんだけども、なかなかイエスと言うてくれない、それでストーカーするんです。女の子のマンションにじっと待ち伏せしたり、電話をかけ続けたり、もう我慢出来ないらしいですね、自分の気持ちを抑えられない。そんなストーカーの人たちが異口同音に、「彼女が僕の言うことを聞いてくれないから」って言うそうです。わかるような気がするんですよ。私らの世代というのは、お湯を入れたらラーメンが、すぐ出来ます。「チン」です。パソコンで買い物、たいがいのものなら手に入ります。外にはローソンやら吉野屋とか、24時間営業です。物的にはほぼ満たされてきた世代です。昭和40年以降と云われていますが、ちなみに私は昭和40年生まれです…が。そういえば、昭和40年にチキンラーメンが出来たんです。だから、私たちはそういうことが満たされてきた世代なんです。だから、本当に我慢できないんです。一番言うこと聞いてくれないのは…それは人間です。彼女です。彼女だけが言うこと聞いてくれん、それでもう抑えきれないから、車でじーっと待ったり、夜中に電話をかけたり、凄く怖い時代ですよね。ただこれも、今の若い人だけのことではなくて、先ほど言ったように、今、日本中を覆っている空気、一人ひとりの「南無・思い通り」から起こってくることだと思います。

「南無・阿弥陀仏」、私達が阿弥陀仏に南無せよという、そういう教えを聞きながら、実はそれ以外のことに、南無している生活であり、約まるところ「南無・思い通り」と、そのことだけを追いかけている毎日なんですが、阿弥陀仏というのは、これだけ真宗聖典で確かめさせて頂きたいと思います。お持ちでしたら聖典の10頁でございます。家にある方はお帰りになって見ておいてください。これは大事なところですので、『佛説無量寿経』でございますが、阿弥陀如来が仏になる前の名前は、法蔵菩薩です。法蔵という名前の菩薩が、修行されて五劫が間思惟し、永劫が間修行して、「五劫思惟之摂受」と『正信偈』にございますけども、仏に成られた。その法蔵菩薩のことが、お経さんの中にこのように出てきます。

「国を棄て、王を捐てて、行じて沙門と作り、号して法蔵と曰いき。」(真宗聖典10頁)

沙門というのは道を求める者ということです。行じて沙門となり、その名を法蔵と日うと、このように書いてあります。
国を棄て、王をすててというのは国王だったんですね。これは考えてみますと、さっきの「南無・思い通り」です。国王というのは思い通りに出来る代名詞です。そうですよね。健康には重々気をつけてもらえます、専属の医者が何人、何十人と常に待機してくださっています。お金もあるし、名誉もあるし、地位もあるし、それこそ思い通り出来る人、まわりは皆、家来です。だから、私達がこうなればいいなあーって考えていることを、かなえられる代名詞なんですよね。それをすてたというんです。
お釋迦さまもそうでした。釋迦族の王子様として生まれられました。でも、その位を棄てて出家されます。だから、ここだけ抑えておきたいと思うんです。私達はお念仏の教えを聞きながら、実は、「南無・思い通り」という国王をめざしているんでないか思うんです。
法蔵菩薩が阿弥陀仏に成られた道、お釋迦様が出家された道、それは私達とは反対なんですね。だから仏が歩む方向と、私達が歩む方向が全く逆であるというが、「南無・阿弥陀仏」から教えられているように思います。とにかく私たちは反対であるということを肝に銘じたいと思います。
 次席でこの「南無・思い通り」が、いろんな問題を引き起こしているという、そして、それだけが私たちが真底求めていることなのかということも、展開出来たらと思っております。今席は前置きみたいなことでしたが、これで終わらせていただきます。ようこそお参りくださいました。

▼第2席を見る

▼トップページへ戻る

<<前のページ |

トップページ | 浄願寺について | リンク | BBS | サイトマップ | ホームページご利用について | お問い合わせ


PCサイト | スマートフォンサイト

-浄願寺 -
滋賀県長浜市相撲町654
電話 0749-62-2101
(c) 2006 jyoganji. All rights reserved