テーマ 亡き人を縁として(15号)

2000(平成12)年11月1日


表紙


亡き人を縁として

「五代前の先祖がたたっていますよ」と言われると、ドキッとする人は多いかもしれません。しかし、「亡くなったお母さんがたたっていますよ」と言われればどうでしょう。ほとんどの人は、「私のお母さんはそんな人ではありません」と怒り出すのではないでしょうか。つまり、先祖が迷っているとか、祟っているというのは、亡くなった人のことをはっきりと受け止められていない私たちの心のすき間につけ込んでくるものなのです。そして、ほとんどの場合、それにはお金がからんでいます。
 亡くなった人は、すでに喜怒哀楽はありません。ですから、お内仏(仏壇)に何々を供えろと言うことはありません。また言うことをきかないと化けて出るぞということも言いません。にもかかわらず、生きている私たちの方が、亡くなった人をどうにかしないといけないと勝手に思いはからっているのです。
 それは、一見すると亡くなった人を大切にしているようですが、実は自分の人生を守ってもらいたいという気持ちや、災いが自分におよぶことを恐れる気持ちからきていることが多いのではないでしょうか。お祓(はら)いなどが流行るのもこのためです。
 亡くなった人は、自らの身をもって、人は必ず命を終えていかねばならないということを教えてくれています。限りある人生をどのように生きるのかと呼びかけているのです。近しい人の死は、特にこのことを感じさせられます。亡き人と向き合うことにより、私たちは初めて自分の人生についてよく考えることができるのです。
 お墓参りに出かけるのも、法事を勤めるのも、それは亡くなった人の生き方に思いをはせ、自分の生き方を見つめ直す大切な機会なのです。

『真宗本廟教化リーフレット』一楽 真 大谷大学助教授より


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