2003(平成15)年 山門掲示板の言葉

1月(前) 花ひらく
人生に花ひらくとは
この自分が押し頂けたことです (浅田正作)
1月(後) 人間が自分の頭に正義という名を付けたら
どんな残酷なことでも出来る (司馬遼太郎)
2月(前) 今までは 人のことじゃと思いしに 俺が死ぬとは
こいつぁたまらん (十返舎一九)
2月(後) たくさん答を持つほどに ますます孤独になっていく
3月(前) 「絶対に見捨てない」という仏のこころから
すぐに見捨てる私が問われる
3月(後) 自分さえ良ければいい しかし それだけではない
本当の私
4月(前) 戦争は正義によって始まり 終われば犠牲だけが残る
4月(後) やどかりが自分の殼を自分だと言ったらおかしいだろう
私は自分の殼を自分だと思っている (浅田正作)
5月(前) 浄土とはあるかないかではない 
願わずにおれない世界をいう
5月(後) 善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり (親鸞聖人)
6月(前) 念仏とは 私を念じる仏の声を聞くことである
6月(後) 大人が子どもを受け入れる力よりも
子どもが大人を受け入れる力の方がずっと大きい
7月(前) 月かげの いたらぬ里は なけれども
眺むる人の こころにぞすむ (法然上人)
7月(後) 信心とは信じ込むことではない
疑いなしということに出会ったということ
8月(前) 亡き人を案ず(じ)る私が 亡き人から案ぜ(じ)られている
8月(後) 私を喚ぶ声 いまに十劫をへたまえり
9月(前) 亡き人を前にして 悲しみを感じるのは
その人から 実にたくさんのものを頂いてきたからである
9月(後) 私は正しいとがんばるほどに 行き着く所は一人の世界
10月(前) 私たちは生きることなく ただ
生きる準備ばかりしている (パスカル)
10月(後) 念仏は請求書ではなく 領収書である (米澤英雄)
11月(前) 一人ひとりの人生は 代わる者 有ること無し
11月(後) 人間は理知によって 暴力的になるものです
12月(前) 自転車のタイヤを直接支えてくれるのは
三センチあるかないかの道はばである
しかし はば三センチの道を
自転車で走ることは 私にはとても出来ない (東井義雄)
12月(後) やられたらやり返す この論理が 限りなく争いを生産する

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