テーマ 摂取してすてざれば(94座)

2010(平成22)年5月1日


表紙

不信への信頼 和田稠

政治不信、経済不信、教育不信そして宗教不信、それらの根っこにあるものは人間不信です。それを更におしつめれば自己不信に行きつきます。(中略)これらの私の在り方のすべてに対して不信の念が起きるということはまことに不思議なことです。それはいったい何処から起きてくるのでしょうか。不純粋、不確実な我らの信に対する不信の念こそが我らの信の危うさを問うてやまぬのです。不信の出所が信のそれよりも、より深く確かなのです。そのことが領承されるとき不信こそが唯一信頼すべき真実信心の智慧の予微であることが承引されるのです。自己の信心に立つ者が最も真実信から遠い所にあり、一切の信に対する不信に立つ者が却って真実信に近い所にあるのだとも言えましょう。それを現代に当てて言えば、宗教者が最も宗教に遠く、宗教不信の者が最も宗教に近いのだということになりましょう。宗教不信の時代こそがまさに宗教のときです。人間不信の現代こそが真に人間成就が渇望されているのです。自己を信頼できないということが、自己よりもさらに確かな、大きく深い純粋要求のうながしの中に在るからです。真宗に生きるということは、信の危うさと不信の確かさを、したたかに思い知らされることだと言えないでしょうか。
『同行』浄泉寺発行より

住職記

■親鸞聖人が

摂取してすてざれば 
阿弥陀となづけたてまつる

と和讃されるように仏はどんな者をも救いとると説かれています。
■しかしこのようなことを聞くと、どこかにいる仏さんが優しく私を包み込み、守ってくださると…ついついこんなふうにイメージしてしまうのですが、果たしてそういうことなのでしょうか?そのことを少し、源信僧都にたずねてみたいと思います。
■源信僧都は、当麻(奈良)に生まれました。幼い頃から聡明で、十三才の時に比叡山に上り、十五才で八講師に選ばれました。その中でも、一番優れた「法華経」の講義をしたので、村上天皇から「紫の衣」を与えられました。源信僧都は、きっと、お母さんも喜んでくれるに違いないと思い、その品をお母さんに贈られましたが、逆にお母さんはひどく悲しまれました。その時に詠まれたのがこの詩です。

世の人を渡す橋とぞおもいしに
世わたる僧となるぞ悲しき

苦しんでおられる人々を渡す橋にならず、自分だけが渡って、名誉心に浸って喜んでいるあなたがとても悲しい。どうか、本当の僧になってください…と。そしてその品を送り返されました。ここから源信僧都の本当の僧なる道が始まったといわれます。
■また、源信僧都は、著作である『往生要集』の中に、こんな譬えを書いておられます。

象がさんざん苦労して狭い檻から抜け出たと思いきや、最後に尻尾だけが窓枠にからまってしまって、結局、自由になれなかった。

象の大きな体にくらべて、尻尾ぐらいが何故からまるのか、そんなバカな、と言いたくなるのですが、この尻尾とは、名利心(名誉心)を表し、意識も及ばないところで純粋さを失っていることを説くのです。つまり、人間には絶対、真実はないということなのです。
■しかし、源信僧都は、決して、ただただ人間は情けないと悲観しているのではありません。むしろ、親鸞聖人の、

善心微なるがゆえに
(真宗聖典220頁)

の言葉にもあるように、意識も及ばない深いところに善心なるはたらきを人間の中に見ているのです。それは、私に「それで善いのか」と厳しく呼びかけてくる声となって、私の不真実を照らし出すのです。和田稠先生は、

純粋要求のうながし

と表現されます。(表紙参照)

■源信僧都は、象の尻尾の如くどこまでも、絶対にゴールイン(自己満足)させない…真実からの呼び声を、それこそ当時のお母さんの批判の声と重ねながら、生涯、聞き続けていかれたのだと思います。
■源信僧都は、

摂取してすてざれば  

という阿弥陀仏を、どこかにいる仏ではなく、一人ひとりの中に頂いておられるのではないでしょうか。

編集後記

▼住職記で引用しました言葉「善心微なるがゆえに」の後には「白道のごとしと喩う」と続きます。(真宗聖典220頁)

▼これは人間の中に「善心なるはたらき」があるのであって、決して、人間の中に「善心」があるのではありません。

▼このことは、親鸞聖人が「白道四五寸」と言うは…と展開され、厳密に教えてくださいます。(真宗聖典454頁)

▼善心は私に属するのではなく、仏に属するのです。善心は私が「おこす」のではなく、私に「おこる」のです。


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