テーマ 「和国の教主」「観世音菩薩」(184座)

2019(令和元)年7月1日


表紙


▼浄願寺七百五十回御遠忌法要実行委員会の進行を見る

住職記

■親鸞聖人は聖徳太子を日本のお釋迦さま「和国の教主」と和讃され、「観世音菩薩」の化身と仰いでおられます。聖徳太子の作である『十七条憲法』には次のように書かれています。

すなわち財有るものが訟(うつたえ)は、石をもて水に投ぐるが如し。
乏しき者(ひと)の訴(うつたえ)は、水をもて石に投ぐるに似たり。

■「財有るもの」と「乏しき者」。聖徳太子はどちらに立たれたのでしょうか。そこで教えられるのは次の文字を区別されている①②です。

①財有る「もの」に対し、乏しき「者」との区別です。この「者」に「ひと」とふりがなを付けておられます。それは敬いです。そこにこそ「ひと」を観ておられるのです。親鸞聖人もまた「ひと」という言葉に立ち、敬いの心でたくさんの和讃を作られています。
②財有るものの「訟」に対し、乏しき者の「訴」との区別です。財有るものの「訟」という字は公の場所で言うとあり、乏しき者の「訴」という字は、逆方向に上に申しとあります(漢字源より)。財有るものの「訟」は公性が有るが、乏しき者の「訴」は公性が無いということです。

■財力の有るものの声は石を水に投げるようなものであり、波紋が広がるが如く聞き取られていく。しかし、乏しい者の声は水を石に投げるようなものであり、音にもならず聞き取られることはない。聖徳太子は、いつの時代も大きな声が小さな声をかき消し抹殺していく現実を深く痛み、声にもならない人々の呻(うめ)きを聞き、この世の人々の苦悩を観つめ続けられたのだと思います。そして仏教を中心に『十七条憲法』を制定し、差別され、排除される乏しき者と共に生きられました。まさに「和国の教主」「観世音菩薩」です。

↑『皇太子聖徳奉讃』親鸞聖人

編 集 後 記

▼住職記には書きませんでしたが私が感じる区別があります。それは財有るもの「が」と乏しき者の「の」です。財有るもの「が」という表現には、何か向こうが…ということを感じるのです。それに対して乏しき者の「の」という表現には、聖徳太子の乏しき者の側に立たれる、こちらの…という響きを感じるのです。繰り返しますがこれは私が勝手に感じていることです。(笑)また、教えてください。

▼上の和讃にある8人の声を聞き取られたということも、それは超能力の話ではなく、このような伝説になるほどに、聖徳太子がどんな小さな声々にも大切に耳を傾けておられたからだと思います。

▼浄願寺七百五十回御遠忌法要に向けて、一歩一歩の歩みの報告です(1頁4頁参照)。不思議のご縁で2021年浄願寺七百五十回御遠忌法要は聖徳太子(622年4月8日還浄)の1400回忌の年です。

▼71日間の長浜教区・五村別院・長浜別院 宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌。お互いにおめでとうございました。言うまでもなく、この御遠忌は花火の打ち上げで終わるのではありません。親鸞さんの教えを子や孫、次の世代にどう伝えていくかが私たち一人ひとりに願われています。そしてそれは私自身が親鸞さんの教えに生きることと一つなのでしょう。(下参照)

▲71日間の長浜教区・五村別院・長浜別院 宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌の円成
3月10日、復興支援「いのちとことばの響舞台」
5月3日、約400人参加の「子ども御遠忌」
5月19日、帰敬式約400人の受式
約200人のお稚児さんと共に庭儀(上写真)
大谷暢裕門首後継者(能慈院殿)の出仕、結願日中の厳修


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